スノーボードのハーフパイプ元日本代表チームの一員で、現在はスノーボードビジネスを手がける上田ユキエさん(43)は6年前から米ロサンゼルスに移住し、1児の母として食生活にも気を使う。昨年、子宮がんの手術を受け、健康の大切さを改めて実感したと言う上田さんに話を聞いた。【聞き手・千歳香奈子】
1996年から日本代表チームの一員としてW杯で海外を転戦しましたが、その頃は食事や栄養に関してはあまり気にしておらず、食べすぎないように気をつける程度でした。割と何でも食べられるタイプなので、その国の食事を摂り、特に困りませんでした。
とはいえ、お米や日本食が恋しくなることもあります。長期の遠征や大会にはお米やレトルト食品を持ち込んで自炊したり、日本食に近いアジア系のごはん、麺類やスープなどを探して食べたりしていました。
3食規則正しく、体を冷やさず
スノーボードは基本的にバランス感覚が大切なので、自分の体をコントロールするためのベスト体重があり、なるべくそこを崩さないように心がけています。体が重くなると、ケガにつながります。オフ期は運動量も減るので体重を増やさないように気をつけ、今でも身軽さをキープしようと心がけています。
そのために3食規則正しく食べます。筋肉をつけたいので、肉などタンパク質も摂取しますが、それよりもバランス良く、極端な空腹や満腹状態にしないことに注意しています。朝、しっかり食べた方が午前中に体を動かす時のエネルギーになりますし、夜は早めに食事を終わらせ、きっちり消化する時間を取ってから寝るようにしています。
もう1つ、スノーボードをする上で大切なのが体を冷やさないことです。雪山に長時間いると、気づかないうちに体が冷えて体調を崩すこともあるので、朝はサラダや冷たい物を控えて、ショウガを加えるなど温かいものを食べるようにしています。新陳代謝、エネルギーの消化も上がるので、飲み物も温かいお茶や白湯などにしています。
また、コロラドなど標高が高い山でトレーニングをするときは、高山病にならないように水分補給にも気をつけています。暑い中での競技と違ってさほど喉が渇いたと思わないので、そのまま水分を摂らずにいると、めまいがしたり、頭痛がしたりと高山病になってしまうからです。
添加物で体調崩した20代
6年前にロサンゼルスに移住し、子供を産んでから、より食事に気をつけるようになりました。仕事のため、子連れで日米往復する生活ですが、現場にはできるだけおにぎりやお弁当を作って持っていきます。子供の頃は好き嫌いがありましたが、海外に出るようになって好みが変わりました。日本の食材の美味しさに気づき、好きなものが増えました。煮物など急に美味しく感じるようになりましたね。5歳になる息子(虎之介君)にも何でも食べさせていますが、アメリカの食事は味が濃いので、なるべく薄めてから与えるようにしています。息子は和食が好きなので、朝食はご飯、魚、味噌汁、納豆が我が家の定番です。
アメリカに来る前は「日本食は健康でアメリカ食はジャンクフード」という先入観がありましたが、実は、日本の方が保存料や添加物使用量が高いものもあるんです。アメリカの食べ物はドギツイ色をしたケーキとか、体に悪そう!と思う食品もありますが、そうでないものもあることが分かりました。原料や素材を知り、良いものを選べるようになるといいかな、と最近は思っています。
競技やトレーニング、撮影で忙しかった20代、ついつい何も考えずにコンビニ生活が続いて体調を崩し、低コレステロールと診断されたことがあります。添加物でそういう症状になると言われ、怖いなと思いました。たまになら問題ないでしょうが、日常的に添加物を摂取すると体内に蓄積されるので、影響は大きいですよね。中高校生は体が作られる大切な時期。手軽で便利なコンビニを利用しがちでしょうが、お家でご飯を食べられる環境にあるなら、なるべく家で手作りのごはんを食べるように心がけて欲しいですね。
ケガと病気乗り越え、食事の大切さあらためて
スノーボードを続けて20年間、ケガは少なかったのですが、2年前には前十字じん帯の再腱手術を受け、昨年は子宮がんのリープ手術も受けました。ケガや病気をしたことは良かったとは言えませんが、自分の体と向き合い、よく知り、しっかり管理していくための良い機会だったと、今では感じています。
手術を受けてから「命をもらった」と思いながら生きてきました。生きることは当たり前じゃなく、とても素晴らしくて尊いもの、精一杯生きないともったいないと改めてパワーが湧いてきました。病気を乗り越えた今は、年齢とともに変化する自分の体ときちんと向き合い、ずっとスノーボードをしていきたいと思っています。生きている限り、自分の体を使って楽しんでいきたい。そのためにも食事と運動で体を強くし、健康を保っていきたいと思います。
1973年1月22日、東京出身。20歳でカナダに渡り、ウィスラーでスキーガイドをしながらスノーボードを始める。ハーフパイプ競技で国内アマチュア大会を転戦。スノースタイルカップで優勝する。96年、日本代表ナショナルチームのメンバーとなり、ワールドカップを転戦。00年、X-Sports Core Xtreme Winter Gameで、ストレートジャンプとクオーターパイプ共に表彰台に上る。女性向けのスノーボードの開発やキャンプイベントを企画し、03年には自身の会社を立ち上げる。結婚を機に6年前に米ロサンゼルスに拠点を移し、11年には長男を出産。現在は子育てをしながらスノーボードビジネスを両立させている。155センチ、45キロ。