<あの選手のジュニア時代:野球・田中将大>

 04年11月14日、駒大苫小牧1年の田中将大(現ヤンキース)が、明治神宮大会準々決勝の羽黒(山形)戦で公式戦初先発した時の写真です。

04年11月、明治神宮大会の羽黒戦で力投する駒大苫小牧・田中
04年11月、明治神宮大会の羽黒戦で力投する駒大苫小牧・田中

 2週間前に16歳の誕生日を迎えたばかり。6回を投げて10安打4失点で3-4で惜敗しました。当時の背番号は2。捕手と一塁手もこなし、この試合は7回からマスクをかぶりました。

 当時、香田誉士史監督は「北国の子は夏バテしやすい」と、毎食茶わん3杯以上のご飯を食べるノルマを選手に課し、練習の合間にも納豆と卵を添えたどんぶり飯を食べさせました。

 駒大苫小牧はこの試合の3カ月前に夏の甲子園で初優勝。翌05年に田中は2年生エースとして連覇に貢献。3年の06年も準優勝しました。

2017年8月、タイガース戦に先発し、力投するヤンキース田中(撮影・菅敏)
2017年8月、タイガース戦に先発し、力投するヤンキース田中(撮影・菅敏)

(2017年9月14日付日刊スポーツ紙面掲載)