摂食障害だった頃を振り返る寺田明日香
摂食障害だった頃を振り返る寺田明日香

 陸上女子100メートルハードルのU20日本記録保持者で2009年世界陸上代表の寺田明日香(28)は5年前、23歳で突然競技を引退した。さまざまな理由が積み重なってのことだったが、その1つは、軽度の摂食障害。食行動を中心にさまざまな問題があらわれる心の病気が一因だった。

 寺田は一時期、食べすぎてしまう「過食」と食べられなくなる「拒食」を繰り返していた。大量に食べる、吐く、食べられなくなる…。大好きだった陸上を離れるほどの状態から立ち直り、結婚、出産を経て、今は7人制ラグビーで2020年東京オリンピック出場を目指している。そんな寺田が当時を振り返り、食事や体重管理に悩むジュニア期の女子アスリートと保護者へ、メッセ―ジを送った。【取材、構成・青木美帆】

「何でそんなに太るんだ」

 22歳の頃ですから、6年前です。タイムがなかなか出ず、色々なことがうまくいかなくなっていた時期に太ったんです。今考えれば、女性特有の太りやすいタイミングだったと思います。周りも「いい意味で太ったね」と言ってくれていました。その一方で「何でそんなに太るんだ」との声もあり、それをきっかけにポジティブに受け止められなくなり、悪循環に陥っていきました。

陸上日本選手権女子100メートル障害決勝 U20日本新の13.05秒で優勝を決めた寺田明日香(2009年6月26日)
陸上日本選手権女子100メートル障害決勝 U20日本新の13.05秒で優勝を決めた寺田明日香(2009年6月26日)

 体重が100グラムでも増えていたら、その日はもう食事がとれません。体重が増えるのが怖くて、ナッツやシリアルなど、(重量が)軽くてカロリーが高いもので済ませようとするのですが、練習しておなかは空いているから、気付くとたくさん食べてしまうんです。1箱3000カロリーくらいのナッツや大量のシリアルを一気に食べて、罪悪感で吐いて何も食べなくなる、という繰り返しで、体重も10キロくらい急激に増えたり、減ったりしていました。

無月経で疲労骨折も

 「明日香は摂食障害気味。危ない方向に進んでいる」。栄養士さんをはじめ、周囲の人は私の異変に気づいていたようですが、ショックを受けるからと「気にするな」とだけ言ってくれていました。でも、元々持っていた貧血がかなり悪化して、走るとすぐにクラクラして動けなりましたし、生理が半年来なくなって疲労骨折にもなりました。婦人科に行ったときに「食べると嫌な気持ちになる」と相談しましたが、心療内科などで具体的な治療は受けることなく、2013年6月の日本選手権をもって現役を引退しました。

織田記念陸上兼世界選手権選考会最終日 女子100メートル障害予選に挑む寺田明日香(2013年4月29日)
織田記念陸上兼世界選手権選考会最終日 女子100メートル障害予選に挑む寺田明日香(2013年4月29日)

 走ることが好きで陸上を始めたし、大会で色んなところに行って、色んな人に会えるのも魅力でした。でも、当時の私は(地元で拠点の)北海道を離れ、やり直す気力はありませんでしたね。

実家で静養、ストレス軽減

 引退後は実家で過ごしました。ストレスがなくなったことで、実家にいた3カ月間で症状はほとんど治っていたと思います。とはいえ、最初は食事に慣れていないせいでおなかがゴロゴロしましたし、ナッツやシリアルのバカ食いも止められませんでした。

 母は、そんな私に何か言うでもなく、ただ見守ってくれていたんですね。食べられないときは「あとで食べたら?」と小分けにしてくれましたし、ナッツを食べている時も「いいもの食べてるじゃん」って、一緒に食べて(笑)。もしその時「これを食べなさい」とか「これを食べちゃダメ」って言われていたら、治るまでにもっと時間がかかったと思います。

寺田明日香からメッセージ

ジュニアアスリートのあなたへ
 まず、食べられない状態に陥ったら、誰かに話せる機会を作ってほしいと思います。そして、食べられない、食べすぎてしまうことを気にしすぎないことが大切です。誰だって食べられる日、食べられない日があります。自分を否定せず、「今日は食べられた! 自分、すごい!」といったように、ポジティブにとらえられるといいですね。

保護者の方へ
 「娘の食べ方がちょっとおかしい」と思ったら、心配になるのは当然です。私にも3歳になる娘がいますが、同じ状態になったらと思うと心配で仕方ありません。しかし干渉し過ぎると、それがさらに深刻なトリガーとなってしまうかもしれません。自分の体験から言うと、「好きなときに好きなものを食べなさい」くらいの距離感で見守るのがいいのかなと思います。

◆寺田明日香(てらだ・あすか) 本名・佐藤明日香。1990年1月14日生まれ、北海道札幌市出身。恵庭北高1年時にハードルを始め、全国高校総体女子100メートルハードルで3連覇。北海道ハイテクAC入部後も日本選手権V3。09年に世界陸上出場、アジア選手権銀メダルなどの成績を挙げ、同年の世界ジュニアランキング1位にもなったが、13年に引退。結婚、出産を経て16年に7人制ラグビーに転向。現在は千葉ペガサスと日本代表候補のWTBとして活躍。168センチ。