<アスリートの摂食障害:原裕美子(下)>
女子マラソンの元日本代表の原裕美子さん(37)が摂食障害に陥る原因は、どこにあったのか。2日に行われた日本摂食障害協会主催のシンポジウム「世界摂食障害アクションディ2019」の後、原さんは「京セラ時代の過剰な体重管理にあった」と告白。同じような状況に陥る選手が今後現れないよう「自分で自分の身を守って」とメッセージを送った。
「食べるな」「飲むな」
体重が軽い方が早く走れるとされる陸上長距離。体重管理は、高校時代からあった。
原 高校1年の頃は41キロ。太るのが怖くてウエストのジャージの紐をいっぱいに締めて、食べられないようにしたこともあった。
それでも強制的な食事制限はなかった。
原 お母さんのご飯がおいしいからいっぱい食べてしまうので、食べた分だけ走って調整していた。例えば、いつもは1時間走るところを2時間とか3時間走って。それで体重管理はできていた。高校時代から自分で栄養の勉強もしていたので、練習後に何を食べたらいいかも分かっていた。とにかく走るのが大好きだった。
高校3年で、念願だった全国高校女子駅伝に出場。しかし、冬にケガをしてしまい、体重オーバーで実業団入りした。すると、厳しい体重管理が求められ、「食べるな」「飲むな」と言われ続けた。
原 食堂のメニューは1日3000kcalを設定されていたけど、実際に食べられるものは半分以下だった。練習後はタンパク質を摂りたいのに、ある日の夕食は揚げ物。衣をはがせば食べられるし、タンパク質はそれだけだったのに「食べるな」と言われて、何も食べる気が失せてしまった。いつも監督の前に座らされて、 味がしなかった。
バカ食いから嘔吐へ
部員は6人いたが、1日に4回以上も体重計に乗せられ、厳しく「監視」されたのは自分だけだと思ったのも、ストレスに拍車をかけた。
原 疲労が回復しないから、余計に食べたくなって…。何カ月も厳しい減量生活が続いて、0カロリーのゼリーばかり探していたけど、体重が落ちなくなり、ある日、スナック菓子をバカ食いしてしまって体重を維持できなくなった。そしてまた、怒られた。
辛い環境から、なぜ逃げ出さなかったのだろうか。
原 辞められなかったのは、高校時代の下宿でお世話になった方々に合わせる顔がないと思ったから。小さくてもいいから結果を出して、続けていこうと思っていた。
するとある日、食べたものを吐きだした。
原 吐くようになったら記録が出て、日本で3番になった。それじゃ、次は日本で1位になれるんじゃないか、と思って、結果を出したい、期待に応えなきゃと思うようになって、食べ吐きが止まらなくなった。
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