<岩手のヒミツに潜入(3)>
マリナーズ菊池雄星投手(28=盛岡市出身)にエンゼルス大谷翔平投手(24=奥州市出身)そして大船渡3年・佐々木朗希投手(17=陸前高田市出身)。なぜ岩手県は突然、続々と日本を代表する大物投手を輩出し始めたのか。半年間、佐々木関連の取材を進めるうちに浮かんだ1つの仮説「早寝」を、さまざまな角度から検証する。
岩手県からの相次ぐ剛腕高校生輩出に、県歴史研究の第一人者・藤井茂氏(70=新渡戸基金理事長)は「岩手県はいろいろと遅いんです」と切り出した。
明治維新で敗れた南部藩(盛岡市など現在の岩手県北側と、青森県東部)の若者は、軍人や外交官、教育者の道を選んだ。「貧しい県なので絵画、芸術、音楽、スポーツ…こういう遊興には向かわない。進もうとも思っても望めない、そういう環境があったように思えます」。農作物に恵まれた隣の秋田とは異なり、土地がやせていたのだ。
「貧しいけれど勉強しろ。勉強で薩摩・長州に勝つんだ。これが絶対に南部の根底にあると思います」。敗戦世代の子息たちが、高い志で上京。原敬、新渡戸稲造、田中館愛橘(※)…刺激し合いながらこつこつと学び、大正以降に花開かせていったのだという。
堅実な県民性。藤井氏の研究によると、上京した青年たちもほとんどが、早寝早起きの規則正しい律義な生活をしていたという。例外は石川啄木。「啄木だけはいろいろ遊んで、東京人の生活に染まっていた印象があります」と笑う。
食べることに一生懸命だった時代。「だから岩手はいろいろなことに10年、20年遅い環境だったように思います」と藤井氏。岩手の高校野球界も「やっと若く研究熱心な指導者が増え始めた」という関係者の声が多い。藤井氏は「これからもっと、すごい人物が出てくるのでは」と期待している。岩手独自のスピード感で大物が育まれる。
▽矢野新一氏(70=県民性研究者)「優しくてまじめで、少し引っ込み思案なのが岩手の県民性。ただ内陸(菊池、大谷)と沿岸(佐々木)では元来の考え方は違うし、岩手の場合は旧南部藩(菊池)と旧伊達藩(大谷、佐々木)でも全く違う。3人を1つのグループにするのは正しくないのかもしれない」
(※)日本の物理学の礎を作った研究者。日本式ローマ字の考案者でもあり、普及にも努めた。
(2019年6月27日、ニッカンスポーツ・コム掲載)