日本代表プロップの稲垣啓太(29=パナソニック)は、ワールドカップ(W杯)前最後の休息日を利用して「原点」とする故郷の新潟へ帰省した。母校新潟工高の恩師や旧友らと一時の時間を過ごし、W杯8強へ決意を示した。地元関係者に話を聞くと、数々の「規格外伝説」が残っていた。
稲垣は不動の背番号「1」を背負い、2度目のW杯へ臨む。186センチ、118キロ。プロップでは驚異の体脂肪10%を誇る。数手先の動きを読み、ボールに向かう。タックルしてはすぐに起き上がる。世界基準の運動量と肉体の基礎は、原点とする故郷にあった。地元ではそれらにまつわる「規格外伝説」が残っていた。
<伝説1 巨漢とこわもての風貌> 3980グラムで誕生。幼稚園年長で40キロ超となり、ホッピングで遊ぶと遊技場の床が貫通した。100キロ超になった小5の健康診断では、回転式体重計の針が振り切って故障。1人だけ市内の健康センターで体重測定を行うことになった。中学では「今とほぼ変わらない体形」で野球に熱中した。「リアル版ドカベン」の異名を取り、強肩の大型捕手として甲子園常連校から誘いもあった。容姿が格闘漫画「グラップラー刃牙」の花山薫に似ていて、人に弱みを見せることを嫌い、どんな状況でも笑顔を見せない。テストマッチに勝利しても、左腕上腕二頭筋が断裂しても武骨な表情を貫く。海外チームから「ジャパニーズマフィア」とも呼ばれ、営業中の喫茶店で入店NGの経験もある。
<伝説2 豪快な食欲> 学生時代は、うどん専門店「丸亀製麺」でメニューにない釜揚げうどん2キロを注文。うどん用のおけが「タワー」となって提供された。中華店では最初に「ラーメンとラーメン」がお決まり。左手にどんぶりを持ち、おかず替わりに別のラーメンを口にする。大盛りを頼まないこだわりもある。「カレーは飲みもの」として並盛りカレーなら10秒で完食。砂肝20本以上や、すし50貫以上は軽く平らげる。肉体改造に励んでからは食事管理して1日7食の7000キロカロリーを摂取。普段は酒を控えているが、帰省すると友人らと飲酒する。日本酒は1升(約1・8リットル)、レモンサワーはメガジョッキ(1リットル)で15杯以上飲む。
<伝説3 ストイックな減量> 高校時代は成長期も重なり、体重は一時期120キロ台後半になった。高2夏の左膝靱帯(じんたい)損傷を機に、樋口猛監督(47)から「動けるプロップ」を志すために減量指令が下された。電車通学を自転車に変え、片道40分の距離を毎日往復。しかし、26インチのママチャリが悲鳴を上げてタイヤがすぐにパンク。車輪を支えるスポークも折れ、かついで帰宅した。我慢強く1週間続けたが、何度もパンクするため樋口氏に相談の上、断念した。食事制限は効果があった。独自で栄養学を猛勉強。高2秋の沖縄修学旅行ではビュッフェ形式の夕食で、ほぼサラダしか手をつけなかった。消灯後に空腹で眠れず、大量の水を飲んで胃を膨らませた。担任の高橋豊氏(39)は「部屋を抜け出して買い食いしてもおかしくないのに」と感心した。そのかいあって、半年で15キロ近くの減量に成功した。
稲垣は8日に帰省して、自身が300万円を寄付した新潟工高の天然芝グラウンド開きに参加した。約600人の関係者から多くの激励を受けた。故郷で多くの伝説を刻んだ逸材は、W杯での恩返しを誓った。「新潟の未来のためにも8強にこだわりたい。日本代表、新潟県代表として世界の舞台で大暴れしてくる」。究極の「漢(おとこ)」を追求する“寡黙な仕事人”は、愛する新潟の声援を力に変えて6日後の夢舞台へ出陣する。【峯岸佑樹】
(2019年9月14日、ニッカンスポーツ・コム掲載)