<コロナに翻弄された人たち:2020年を振り返る>
競泳男子400メートル個人メドレーで五輪連覇を目指している萩野公介(26=ブリヂストン)は、16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)の栄光から一転、苦しい4年間を歩んできた。2年前の1月には競技人生どころか命の危険に直面。紆余(うよ)曲折を経て、延期になった来年の東京五輪へ向けて、変化の兆しを見せている。
「高齢者なら死」、絶対安静の2週間
萩野は、心のよろいを脱ぎ捨てて率直に言った。練習を公開した6月。「もし今年五輪がきていたら、ちょっと厳しかったかなと思う。金メダルが難しいとかではなく、もっと下の方のレベルだった」。ライバルの瀬戸、ケイリッシュ(米国)との実力差を認めた。
リオ五輪は3種目で金、銀、銅を獲得。東京五輪は複数の金を掲げた。だがリオ後の右肘手術、18年に体調不良、19年はモチベーション低下から3カ月休養と、もがき苦しんだ。どこから歯車が狂い始めたのか。
「あそこぐらいからしんどかった。すごく響いた」
そう振り返るのは、18年1月の強化合宿だった。17年世界選手権で金メダルなし。もともと練習の虫が「死ぬ気で練習しなくちゃ」と体の異常に目をつぶって泳いだ。1月2日に「顔色が真っ白だった」と驚いた平井コーチに練習を止められた。高熱と疲労。同4日に病院で検査を受けると肝臓の数値が異常だった。医師は「高齢者なら亡くなっている。競技人生どころか、劇症化すれば、命の危険もある」と顔をしかめた。
3週間の入院。最初の2週間は絶対安静だった。練習どころではないのに休むことに罪悪感を感じる。病院でバイクをこいで、発熱。萩野は「ここで負けちゃいかん、とやってしまう。『本当に泳いだらまずい。泳いだらというか、動いたら死ぬ』と言われた」。
病室で本を読んだ。1902年(明35)青森の陸軍歩兵連隊による八甲田山雪中行軍遭難事件。大隊長の指示に中隊長が意見できず210人中199人の死者を出した。萩野は「中隊長の気持ちがわかるんです」と知人に漏らした。期待に応えたい、課題をクリアしたい。そのために体の危機的な状態に気付けなかった。
ベッドで天井を眺める日々。瀬戸とメジャー移籍直前の大谷翔平からお見舞いを受けた。大谷からエンゼルスの帽子を、瀬戸からは「公介、大丈夫かよ。退院したら、またご飯、行こうぜ」と明るく声をかけられた。「たわいもない話ですよ」と照れるが、そんな時間が救いだった。
かつては弱音を吐くことを自分に禁じていた。そんな萩野が、19年の自発的な休養も経て、変わろうとしている。「1年延期されたからこそ、できることがある」。自分で認めたライバルとの差。一足飛びで縮められなくても、1年後を信じて泳ぐ。【益田一弘】
◆萩野公介(はぎの・こうすけ)1994年(平6)8月15日、栃木県生まれ。作新学院高-東洋大-ブリヂストン。五輪は12年ロンドン、16年リオに出場して金1、銀1、銅2。19年にシンガー・ソングライターmiwaと結婚し第1子が誕生。177センチ、71キロ。
(2020年7月26日、ニッカンスポーツ・コム「幻の20年夏」)
【後日談】
12月3日に五輪本番会場の東京アクアティクスセンターで始まった競泳全日本選手権で、萩野は男子400メートル個人メドレーで2年ぶりの日本一に輝いた。4分13秒32をマークして、昨春の休養から復帰以降、初めて五輪派遣標準記録(4分15秒24)もクリア。東京五輪への道筋が見えてきた。