<医療ライター・しんどうとも「メンタル回復法」(5)>
「心と身体の正しい休め方」の著者、禅僧・精神科医でもある川野泰周さんの話。
「“感覚”を細かく見ていくことは、心と体のあり方に気づけるようになること。“アウェアネス”といい、この“気づく力”が外からの情報処理にばかり使われるので、自身の心と身体に気づく力が失われた“アウェアネスの低下”状態。心の感受性の細かさが低下している」
思いつくのは「坐禅」。足を組んで目をつむる。それは禅の象徴。
「形から入って何かを目指すというのは、本来的ではないというのが禅の考え方。何かを目指したら修行ではなくなってしまうというわけ。心の落ち着きがほしい、うつ病を治したい、そのような考え自体が執着で、修行は執着を手放すためだから、坐禅がなにになるかといえば、“なんのためにもならない”というのが基本」
少々難解だが、それでは坐禅をする人はいなくなってしまうだろう。結局、悩みごとや苦しみから逃れるために坐禅を組むのでは。
「何かきっかけがあることは間違いではないと思います。うつを治したい、曲がった考え方を治したいなどの目的があっていいですが、きちんとマインドフルネスを続けられれば次第に目的そのものも手放されるようになる。自分を変えたい、いい人間になりたいからと始めたら、“ただこうして生きていることがありがたい”というふうに変わってくる人が少なくありません」
(2020年10月19日、ニッカンスポーツ・コム掲載)