各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。サッカーの東京オリンピック(五輪)世代DF渡辺剛(24=FC東京)は、よりどころとなる武器を持つことで厳しい競争に生き残ってきた。東京の下部組織時代にユース昇格を逃したところからトップチームの主力までステップアップした男が、自身の歩みを語った。
186センチの長身で空中戦に絶対的な強さを見せる渡辺は少年時代、生粋のドリブラーだった。兄の影響で、2歳で興味を持ったサッカー。3歳で始めるとのめり込んだ。小学校時代はFWかトップ下。負けん気が強く、ボールを持てば相手全員を抜きにかかるような選手だった。
当時は小柄で、学校でも背の順で並べば一番前か2番目。「地元ではリーダーになれた」というスピードとキレで勝負していた。ただ、有望な選手が集まる東京のスクールに入ってみると通用しなかった。「小学生ながらに『この人たちには勝てないんだな』と気づかされた」。口に出すことはなかったが、心の奥底に小さな挫折感があった。
スピードが厳しいなら、スタミナを武器にしようとした。小学時代は持久走で負けなし。6年時の体力測定では20メートルシャトルランを146回走った。「走れるのを生かせるポジションに」と中1でサイドバックに転向。それでもジュニアユース時代は3年時、ほぼ公式戦に出られなかった。有望な1年生の後輩が主力に交ざり、自分は1年生と練習する日々。ユース昇格はかなわなかった。「チームで、プロから一番遠い位置にいるなと感じた」。実力不足は分かっていた。悔しくても、受け入れるしかないと痛感する差があった。
進学した山梨学院大付で転機があった。「中学卒業時で160センチちょっとしかなかった」という身長が1年で約20センチも伸びた。監督のすすめで、センターバックに転向。「考えたこともないポジションだった」と試行錯誤の中、感じていたのは武器の必要性だった。
「ヘディングが強いのがセンターバックという認識だった」と、全体練習後に1人、ヘッドの練習を繰り返して感覚をつかんだ。努力が実り、14年の高校選手権で優秀選手となり、15年には高校選抜に選ばれた。186センチの堂々とした体格に成長で、中大を経て東京に戻ってきた。「サッカー選手として生きていくすべを見つけた」。ずっと、持って生まれた能力で勝負してきた。ただ、渡辺を開花させたのは、地道な練習で培ったヘディングだった。
1年延期になった東京五輪にも出場が期待される。「自分にはあふれるセンスや技術はない」と話す渡辺に挫折からここまではい上がれた理由を聞くと「自分に能力があるとすれば、失敗しても前に進む努力をやめないことでしょうか」。育成年代で日の目を浴びなかったことも、五輪を目指す1つの理由になっている。「体も小さくて、サッカーも下手だった。誰にでもチャンスはあるんだということを示したい」。子どもたちに勇気を与えられる選手になる-。渡辺がサッカー人生で掲げる大きな目標の1つだ。【岡崎悠利】
◆渡辺剛(わたなべ・つよし)1997年(平9)2月5日、埼玉県生まれ。東京U-15深川からユース昇格を逃し、山梨学院大付-中大を経て19年に加入。3月6日のルヴァン杯柏レイソル戦で公式戦デビュー、初得点。4月28日の松本山雅FC戦でJ1初出場。同年10月に世代別を含めた初代表となるU-22日本代表のブラジル遠征に招集。12月にA代表としてE-1選手権出場。昨年はリーグ戦28試合出場2得点。186センチ、78キロ。血液型A。
(2020年8月1日、ニッカンスポーツ・コム掲載)