東京オリンピック(五輪)の柔道女子70キロ級で、17、18年世界選手権の同級覇者で初出場の新井千鶴(27=三井住友海上)が金メダルを獲得した。決勝で21年世界選手権銅メダルのポレレス(オーストリア)に優勢勝ち。ヤマ場だった準決勝では、タイマゾワ(ROC)に16分41秒の死闘の末、一本勝ちした。同階級では16年リオデジャネイロ五輪の田知本遥に続く頂点。競技5日目を終えて、日本は男女で6個目の金メダルとなった。

女子70キロ級で金メダルを獲得して笑顔の新井(撮影・パオロ ヌッチ)
女子70キロ級で金メダルを獲得して笑顔の新井(撮影・パオロ ヌッチ)

粘り勝った。勝負が決まった瞬間、新井の緊張の糸が切れた。柔和な笑みを浮かべ、観客席の日本選手団へ力強くガッツポーズ。「うれしいの一言。苦しいことの方が多かったけど、自分を信じて、諦めずにやってきたことが報われた」と喜びに浸った。

柔道女子70キロ級決勝 金メダルを獲得した新井(左)は上野コーチと抱き合って喜ぶ(撮影・パオロ ヌッチ)
柔道女子70キロ級決勝 金メダルを獲得した新井(左)は上野コーチと抱き合って喜ぶ(撮影・パオロ ヌッチ)

ポレレスとの決勝では1分8秒に小外刈りで技あり。冷静に攻撃を進め、夢の金メダルを手にした。ヤマ場の準決勝では、今年5月に負けたタイマゾワとの16分41秒の激闘を制しリベンジを果たした。「絶対に諦めない」。最後は鬼気迫る送り襟絞めで失神させた。

女子70キロ級決勝 女子70キロ級決勝 金メダルを獲得してガッツポーズを見せる新井(撮影・パオロ ヌッチ)
女子70キロ級決勝 女子70キロ級決勝 金メダルを獲得してガッツポーズを見せる新井(撮影・パオロ ヌッチ)

補食と筋トレで3年間で2階級アップ

小学生時代から「人の数倍努力」が口癖の柔道家は、高校時代まで“無名”だった。埼玉・児玉高入学時は57キロ級。長身で将来的に団体戦でも起用されるように柏又洋邦監督(54)が「増量計画」を立てた。食が細いため苦労したが、休み時間のプロテインやおにぎりで補食。稽古の他、週4日の筋力トレーニングで肉体改造。3年間で2階級上の70キロ級に上げた。高3夏に68キロまで増え全国高校総体を初制覇。五輪代表では珍しい遅咲きの全国デビューだった。当時の目標を川柳でこう詠み、現在も家庭科室に飾ってある。

「日の丸の ついた道着を いつか着る」

真面目な性格で完璧主義。「柔道を言い訳にしたくない」と学業成績は3年間オール5。しかし、試合前に弱きな表情を浮かべることがあり、恩師は「不安があっても『絶好調』と返せ」と指導。勝負師としての精神面を育てた。強豪の三井住友海上に入社すると頭角を現したが、結果を残せない時期もあった。リオ五輪代表最終選考会決勝で敗れ、涙をのんだ。

女子70キロ級決勝 女子70キロ級決勝 新井はポレレスを攻め込む(撮影・パオロ ヌッチ)
女子70キロ級決勝 女子70キロ級決勝 新井はポレレスを攻め込む(撮影・パオロ ヌッチ)

「あの日があって今がある。遠回りしたが無駄ではなかった」。高校時代の目標は日本代表だったが、それを超えて五輪王者となった。両親から「大きく羽ばたいてほしい」との願いが込められた千鶴の名前の通り、27歳の柔道家が聖地で羽ばたいた。【峯岸佑樹】

新井千鶴(あらい・ちづる) 1993年(平5)11月1日、埼玉県生まれ。7歳で柔道を始める。埼玉・児玉高-三井住友海上。17、18年世界選手権優勝。18年GS大阪大会優勝。21年GSタシケント大会優勝。世界ランク5位。左組み。得意技は内股と大外刈り。趣味は読書。好きな食べ物はうどん。家族は両親と兄。172センチ。血液型O。

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