東京オリンピック(五輪)卓球の女子団体で、石川佳純(28=全農)、伊藤美誠(20=スターツ)、平野美宇(21=日本生命)の日本が2大会ぶりの銀メダルを獲得した。決勝では中国に0-3で敗れた。女子団体はロンドン大会の銀、16年リオデジャネイロ大会の銅に続く五輪3大会連続のメダルとなった。
妹が栄養管理担当、他愛ない会話も癒やしに
平野は、苦難の道を家族とともに乗り越えて東京五輪を戦った。
平野と父光正さん(52)は、今年から大学に進学し上京した次女世和さん(18)は都内で3人暮らし。一方、母真理子さん(52)と三女亜子さん(16)は山梨県内の実家にいる。
コロナ以前であれば土日を利用し山梨に帰っていた光正さんだが、コロナ後は感染者の多い東京からの帰郷は難しくなった。そこで昨夏から始めた週に1度の家族電話。LINEのテレビ電話機能を使い、お互いの顔を見ながら近況報告をし合っている。
栄養系の学部に通う世和さん。3姉妹とも幼少期から料理をしてきたが、最も得意だったのが世和さんだった。料理に苦闘してしてきた光正さんからバトンタッチし、今や平野の栄養管理は世和さんの仕事。ヨーグルトも牛乳から作るこだわりようだ。
何よりも年が近い妹が1つ屋根の下にいてくれることで「他愛もない女子トークができるようになって美宇が楽しそうだ」と光正さん。張り詰めた競技生活の癒やしになっている。
発達障害を抱えつつも甲府西高の卓球部で今夏の全国高校総体に出場する亜子さんには平野が帰郷した際、卓球を教えた。高校の合格祝いには財布を贈った。
コーチ突然の帰国、気持ちリセットに家族が激論
家族の支えがあって初めて五輪の舞台を踏んだ。7歳で「五輪で金」という夢を公言した平野。最大の危機は17年だった。アジア選手権で中国人選手3人を打ち破り優勝するなど「ハリケーン美宇」と呼ばれ順風満帆に思われた時だった。
信頼していた張成コーチが突然、さまざまな事情で中国に帰国することになった。平野は失意のどん底に落ちた。ラケットを握るだけで涙が出た。
現代卓球のさらに1歩先を教えてくれた張コーチ。今では女子でも主流になったバックハンドレシーブ「チキータ」を早くに取り入れ、高速卓球に導いたのも彼だった。
平野の失望ぶりに両親も激しく議論した。光正さんはJOCエリートアカデミー(EA)を「せっかく入ったんだから最後まで卒業すべきだ」と言ったが、真理子さんの意見は違った。「このままなら美宇の選手生命は死ぬよ」。気持ちをリセットするため環境を変えてあげる必要があると考えた。
母は娘にも聞いた。「私はそもそも五輪に興味はない。美宇の笑顔の方が大事。でもあなたが五輪に出たいならそれを応援する」。平野は言った。「もう1度頑張りたい。生活環境を変えて、全部自分の責任でやりたい」。父も納得し、EAに頼ることをやめ、1年前倒しで修了することを決断した。
娘には夢を諦めてほしくない
寮を出なければならない高3の娘のために光正さんは上京を決める。循環器系の医師として勤めていた甲府市内の病院を辞め、都内の転職先を探した。就職口を紹介するネットに登録し、いくつもの病院の面接に行った。平野のサポートのため「午後5時以降の残業や土日勤務なし」という厳しい条件。苦労して転職先の病院にありついた。
光正さんも筑波大時代に卓球で腕を鳴らし、将来は実業団や五輪で活躍するのが夢だった。だが、それはかなわず医師の道を志した。娘には夢を諦めてほしくないとの一心だった。
家族の形を変えてまでもサポートしてくれる姿に「お父さんまで来てくれると思わなかった。本当に感謝している」と平野。張コーチとは18年夏前に個人契約を結び今に至る。「気を緩めると涙がこぼれ落ちそうだった」というリオでの補欠よりも、厳しく険しい苦難を乗り越えての初五輪。家族の支えがなければ、この舞台に立ててはいなかった。【三須一紀】
(2021年8月5日、ニッカンスポーツ・コム掲載)
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