マラカナンスタジアムを本拠地とするブラジルの名門サッカーチーム「フラメンゴ」で活躍したドグラス・シルバさん(36)は今、リオ市郊外の屋台でブラジルの焼き肉料理「シュラスコ」を売って生活している。一流サッカー選手としては珍しい経歴だが、元ブラジル代表DFマイコンらも来店する人気店。将来の目標は子どもたちの権利を守るサッカースクールをつくることだ。【リオデジャネイロ=三須一紀】
リオ中心部から車で約1時間のパドル・ミゲルという地域の道端にシルバさんの屋台はある。ドラム缶に炭火を入れ、牛のあばら肉を袋に包んで薫製にする。00年から4年間所属したチーム、アトレチコ・パラナエンセ時代にパラナ州特有の焼き方を習得。「こう焼くと肉が軟らかくなり、脂も良い加減になる」と満足げに語った。
01年にはブラジル全国選手権で優勝し、南米のクラブ選手権にも出場。04年には夢だったフラメンゴに所属した輝かしい経歴の持ち主だ。しかし、4回も手術した左膝に急なドクターストップがかかったのが13年。引退するしかなかった。
「突然の引退。サッカー以外に何も考えていなかった」。指導者免許を取得するも、サッカー関係の仕事は見つからない。そんな時、友人のパーティーでシュラスコを焼くと、評判が良く「店を出したら」とまで言われた。1度、売ってみると10キロの肉が飛ぶように売れた。「これなら子どもの生活も守れる」。14年に本業としてスタートした。
選手時代は、良い時で月2万5000レアル(約81万円)稼いだが、シュラスコは週3日働いて月3000レアル(約9万8000円)。不動産収入などもあるが、かなりの収入ダウンだ。「サッカー選手のように格好良くはないけど、シュラスコも地元も好きだから楽しい」と笑う。
それでも、もう1度サッカーの仕事に就くのが夢。今、ブラジル国内のサッカー事情は厳しい。有能な選手が若い時から欧州に流出してしまう。国内のチームも青田買いに躍起。「貧乏な家の親たちは契約に関する法律なんて分からない。だからスカウトの言うままに子どもを預ける。活躍できない子は、あっという間に捨てられる。家族にお金は入らない」と嘆く。
被害を未然に防ぎ、子どもたちの権利を守るサッカースクールを地元につくりたい。「お金じゃない。地元でいい選手を育てて将来、セレソン(ブラジル代表)が出てくれたらいいよね」と笑顔で語った。
1980年3月15日、リオ市生まれ。97年にプロ入り。アトレチコ・パラナエンセで01年ブラジル全国選手権で優勝し、02年にリベルタドーレス杯出場。ポジションはボランチ。フラメンゴ、グレミオ、ブラジリエンセなど7チームを渡り歩いた。2度の離婚を経験し、15歳の娘と3歳の息子がいる。サッカー選手時代に稼いだお金は母、祖母、前妻のために家を買い、あまり残っていないという。
(2016年8月19日付日刊スポーツ紙面掲載)