<横浜高校野球部・栄養士渡辺元美さん(後編)>
創部71年でプロ野球選手61人を輩出する高校野球の名門・横浜(神奈川)。その野球部寮で、食事の世話をしているのが、前監督渡辺元智氏(72)の次女で栄養士の渡辺元美(もとみ)さんだ。愛情のこもった手料理を毎年、寮生10~25人に提供しながら、20年間も選手たちを見守ってきた。後編では、DeNA筒香嘉智や日本ハム近藤健介ら、OB選手たちとの思い出を紹介する。
卒業生から贈られたエプロン
日当たりのよい野球部寮の厨房で、テキパキと食事の準備をする元美さん。朝8時の出勤から夕食の時間まで、たった1人での作業は多忙を極める。「髪を振り乱しながらやっていますよ」と言うが、取材時はピンクのドッド柄のエプロンを身につけ、はじけるような笑顔をみせてくれた。「このエプロンは、卒業した選手がプレゼントしてくれたものなんです」。現在、明大野球部で活躍中の息子・佳明選手(2年)を含め、数えきれないほど多くの選手が、元美さんの手料理にお世話になってきた。
中日ドラ1柳を励ますメニュー
12月のある日、中日ドラフト1位の柳裕也投手(明大4年)が食堂にひょっこり顔を出した。前日に「明日行くので、お昼お願いしまーす!」と電話でリクエスト。「頑張って腕をふるっちゃいました! こうしてスタッフや後輩に会いに来てくれるのがうれしいですよね」。
柳投手が高2の秋、関東大会で右手中指のツメをはがしたことがあった。爪の再生まで、全治3カ月。翌春のセンバツに間に合うのか? そんな不安と戦っていた。その様子を見た元美さんは、ビタミンやコラーゲンが多く入った手羽先の唐揚げや、牛スジのスープなどの料理で励まし続けた。
名付けて「柳クンの爪、ガンバレメニュー!」。
柳投手の爪は見事に復活し、自信をもって甲子園のマウンドに立ったのだ。
親元を離れた選手の精神面もサポート
明大進学が決まっている前主将の公家響選手(3年)も、精神的に落ち込んだ時期があった。高2秋の関東大会で常総学院に敗れ、甲子園への道が絶たれた。この時、心のスランプに悩まされた。誰かに相談したくても、両親や友達は地元の福島にいる。どうしていいかわからないまま、体重が5キロも減ってしまった。「今ではそれも思い出ですね」と公家選手は笑うが、そんな時も元美さんが何気ない言葉で元気づけてきた。
「『ハイこれ。他の選手には内緒だよ』ってお菓子をあげたりね。野球のことは何もアドバイスできないけど、食事と会話で選手の心を和ませてあげたいですよね」。公家選手は「苦手だったアボカドを食べられるようになったのは元美さんのお陰です」と続ける。引退後も元美さんの食事と、自主トレーニングで標準体重をキープできているそうだ。
筒香は黙々と米研ぎ
野球部では、食事の配膳と、炊飯準備、片付けが選手の担当になっている。入寮するとまず、先輩から米の研ぎ方や、食器の並べ方などを教わる。教わったことを、また後輩に伝えていく。こうして伝統となっていく。
DeNAで活躍する筒香嘉智内野手(2010年入団)はドラフトでプロ入りが決まった後も、進んで配膳を手伝っていたそうだ。「物静かだったけど、礼儀正しくて、真面目な選手でしたね。最初は勝手がわからず、大きな体で黙々とお米を研いでいましたよ。うちはガス窯なので、水の加減が難しいのですが、すぐに慣れて上手に水加減を配分していました」。
近藤は料理が大好き
日本ハムで日本一になった近藤健介捕手(2012年入団)も思い出深い選手だ。「コンちゃんは料理がすごく好きでした。よく厨房に入ってきてチャーハンなんかを作っていました。現役時代はダイエットメニューをしっかり守って、夏の大会前に7キロ減量したんです」。キレの増した体で、2011年神奈川大会決勝は近藤選手のサヨナラヒットで勝利。甲子園出場を果たした。
「プロに進む選手は特に、食事への意識が高くて、逆に学ばされます。親元を離れ、学校生活と野球の練習に打ち込んで、クタクタになりながら頑張っている。毎日その姿を見ると、私自身も勇気づけられます。もっと頑張らなくっちゃって思います。野球のことはわからないけれど、選手たちの心の成長を見届けられるのが、1番の喜びであり、やりがいですかね」。
幼い頃から父の渡辺前監督に「食事は楽しくなきゃいけないよ」と言われて育った元美さん。家庭の食卓のような温かさと、明るさを大切にしながら、これからも縁の下の力持ちとして横浜の強さを支えていく。【樫本ゆき】