<川内優輝の母美加さんに聞く(下)>
世界陸上男子マラソン代表、川内優輝(30=埼玉県庁)の母美加さん(53)は中学・高校時代、陸上部で中距離の選手だった。しかし、思ったような成績は残せず、不完全燃焼のまま現役を終えていた。
「息子に夢託した」
川内が埼玉・砂原小1年だった5月、たまたま申し込んだ茨城・土浦市の「ちびっ子健康マラソン大会」で、1500メートルを同学年5位で走った。「何もしないでこれだけ走れたんだから、練習すればもっと伸びるかもしれないと、あれで火が付いた。息子に夢を託した部分もある」。そこから毎日、母子の練習が始まった。
兄弟3人を近くの公園に連れて行き「毎日がタイムトライアル」。自己記録更新を意識させ、約450メートルを走らせた。1秒でも記録更新となればご褒美を出したが、タイムが悪ければ罰走を科した。弟たちが要領良く、1秒単位で自己新を刻もうとしようとする一方、川内は常に全力疾走。「ゴールに倒れ込んでいましたね」と当時から今につながる、死力を尽くす走りを見せていた。
今につながる全力疾走
世界陸上の代表選考レース、昨年12月の福岡国際マラソンでは、ケガを抱えながらも執念の走りを見せて、日本人トップの3位でゴールした。「今回はダメだろう」と家族さえあきらめていた絶望的な状況からの起死回生の走り。想像を超える底力は、このタイムトライアルで培われたものかもしれない。
小学時代の特訓は、台風などの荒天を除いてほぼ毎日、卒業まで続いた。練習が終わった後はすぐに夕食。「好き嫌いがないようにと意識していましたが、特に食べなかった記憶はないし、食事で困ったこともありません」。川内は疲れていても、出されたものは残さず食べた。強靱(きょうじん)な胃腸も、このときから作られていた。
川内が高校3年の冬、アマチュアボクサーとして国体出場経験を持つ父葦生(あしお)さん(享年59)が心筋梗塞で急死した。突然、一家の大黒柱を失い、川内家の生活は一変。物流会社に勤めた美加さんは多忙を極め、子どもたちで食事をまかなわなければならない時期もあった。
川内は学習院大に進学し、学業、陸上の合間にアルバイトにも精を出した。「支えてもらいましたから」。長男の存在は、精神面でも大きな支えになったのだろう。美加さんはしみじみ振り返った。
家族全員で支える
弟鮮輝(よしき)さん(26)、鴻輝(こうき)さん(24)はともに市民ランナー。鮮輝さんは100キロマラソンなどの長距離レースで優勝経験もあり、週末、川内の強化トレーニングパートナーも務める。美加さんは52歳でフルマラソンに初挑戦し、これまで出場した3レースとも完走。「家族全員が現役ランナーだから、自然と会話は陸上のことになります」と今では、家族そろって川内をサポートしている。
今大会を「代表ラストレース」に位置づける川内の雄姿を見届けるため、家族全員がロンドン入りし、沿道で声援を送る。2月に葦生さんの十三回忌を終えた今年は、川内家の集大成の年。日本の男子マラソン界を引っ張ってきた男の区切りのレースを目に焼き付ける。
「息子(川内)に勝手にエントリーされてしまって…」と美加さんは2016年のゴールドコーストマラソンでフルマラソンデビューした。この2年間で3レースに挑み、自己ベストは3時間45分01秒。今も、毎日1時間~1時間半のトレーニングを積んでいる。「自分が走るようになって、こんなに苦しいものなんだって、子どもの気持ちが分かるようになりました。これまでは『何で、あそこでこうしなかったの?』なんて言ってましたけど、もう言えません。だって逆に、自分が言われちゃいますからね」。
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