全国高校野球選手権で公立の星、秋田県立金足(かなあし)農業が、84年以来のベスト4に進出した。翌85年に野球部の寮「野呂田下宿」を開き昨年、高齢のため閉寮した元寮母の野呂田愛子さん(75)は、サヨナラ2ランスクイズの劇的4強に目を細めた。長きにわたり球児の衣食住を支え、カナノウの代名詞「雑草軍団」を守り続けた32年間を振り返った。
雑草魂のバトンリレー。偶然にしては、出来すぎだ。開寮は84年、ベスト4に進出した際のエース、水沢博文さんの父からの依頼だった。説得のため、秋田県大会の決勝に連れて行かれた野呂田さん。「すごいなと思った。やるしかない」と観念した。
16年夏、2人の3年生が引退すると、寮生が0人になった。「のろげ」の愛称で親しまれた寮を「倒れるまでやると覚悟していた」が、翌年も入寮希望者がいないと分かり、運命を感じ、自身の引退も決意。17年3月をもって閉寮した。
秋田市内に家がある生徒も住み込みで野球に打ち込んだ時代は、今は昔。それでも雑草魂は受け継がれ、全国4強を成し遂げた。「テレビで甲子園を見ると、昔の寮生の顔に似てるなって、思い出してしまう」。二人三脚で寮父を務めた夫勇さん(享年69)は11年に他界。今のカナノウがあるのは野呂田さん夫妻の一助があったからだ。
かつて夜遅くまで練習していた時代。午後9時ごろに帰寮した選手に同10時ごろまで夕食の世話をした。洗濯は風呂が終わった同11時ごろに開始。手洗いで泥を落としてから4台の洗濯機をフル回転させ翌午前3時までかかった。
そのまま寝ずに同5時の朝食を準備。米は1日約5升を炊き、朝食、弁当、夕食を用意した。弁当は、おにぎり3つ、肉団子3つが定番で、それ以外におかずを付けた。寝るのは選手が徒歩10分の距離にある学校に行っている日中。その努力を見た選手から「おばさんが頑張っているから、僕らも頑張れた」と言ってもらった。
17年3月、寮生OBが寮の「サヨナラ会」を開いてくれた。「感無量だった」。その後、自宅に隣接した寮を取り壊した。跡地には野呂田さんが摘んできた雑草が植えてある。「雑草が一番きれいよ」。「のろげ」がなくなっても、カナノウ魂を育て続けていた。【三須一紀】
(2018年8月19日付日刊スポーツ紙面掲載)