<トップアスリートの食事:伊藤華英さん>
2008年の北京、12年のロンドンと2度のオリンピックに出場した競泳女子元日本代表の伊藤華英さん(33)。現在、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の一員として活動する元美女スイマーは現役時代、食事に対してどのような意識を持ち、力をつけていったのでしょうか。3回に分けてお届けします。
伊藤さんが食事について意識するようになったのは、19歳の頃。出場確実とされた2004年アテネオリンピックの代表に漏れ、再起を誓ったときだった。173センチの長身に長い手足。恵まれた体形と美貌から注目されたアイドルスイマーにとって、初めての大きな挫折。再起のためには「食事」から見直す必要があった。
ジュニア時代の外食は寿司かウナギ
まずは、そんな伊藤さんのジュニア時代の話をしよう。
生後6カ月でのベビースイミングから、埼玉県岩槻市(現さいたま市)のセントラル岩槻に通い、水に親しんでいた伊藤さんは、小食で食べるのも遅かった。小学生の頃、スイミングスクールの合宿でどんぶり飯が出されると「残しちゃいけないので、泣きながら食べていた」という苦い思い出があるほどだ。
肉類や油ものが苦手で、牛乳も嫌い。「子どもが好きなメニュー」とされるエビフライ、ハンバーグ、カレーライスも好きでない。家庭では「出されたものは食べていたが、特に好きなものもなかった」と親泣かせで、外食するなら寿司かウナギ。「寿司とウナギを食べ過ぎて、飽きて(外で)食べるものがなくなった」と、今では豪快に笑い飛ばすが、かなりの偏食でもあった。
兄とは11歳違いで「一人っ子のように育った」。小児ぜんそくに加え、関節の内側など柔らかい部分にかゆみがでる軽度のアトピー性皮膚炎の症状もあったため、母は食材に気を使った。極力、有機栽培の食品を選び、お菓子も無添加のものか手作り。清涼飲料水も基本はNG。両親は近所に畑を借りて野菜を作るようになった。
特に成長が早い方ではなかったが、常に母親から「170センチになるんだからね」と言われていたことで、背が高くなるのは当然のことと思っていた。水泳は好きだったが、「練習が休みになるといいな」と思うような“普通の少女”でもあったが、コーチから「お前は人とは違うんだから、頑張らないとな」と声がけされていたように素質は抜きんでており、期待されていたことは覚えている。
それでも、水泳一筋の道は歩まなかった。小学5、6年の2年間は当時、まだ珍しかった中学受験のため、勉強に専念。一切泳がなかった。
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