愛工大名電の寮では、倉野光生監督(60)の夫人で、寮母も務める洋子さんの「母の味」が選手の体を支えている。
調理師免許も取得、手作りにこだわり
週末。午前11時30分から、寮の厨房(ちゅうぼう)では洋子さんが走り回っていた。その傍らでは、3人の女子マネさんがお手伝い。「次は野菜を切ってくれる?」「これ、味見してくれるかな?」。その動きは一切ムダのない手際よさ。約1時間であっという間に選手、スタッフ、計48人分の昼食が出来上がった。
倉野監督が監督に就任すると同時に、洋子さんが寮母を務め、20年が過ぎた。洋子さんは調理師免許も取得し朝、晩と選手の食事を作り続けてきた。OBが管理栄養士の職に就いた3年前からは、平日の朝と昼は学食、寮の夕食はそのOBと業者に任せることにした。現在は土日と祝日の朝、昼の食事を担当している。
手作りにこだわりを持ち続け、時短やコストカットのための冷凍食品は一切使用しない。必ず食事の直前に買い物へ出かけ一から調理し「決して手は抜かない」。想像を絶する忙しさも「入学当初、細かった子供たちが、大きくなっていくのは楽しいですよ」と苦労を笑い飛ばす。この心意気が選手の力になっていく。
「バランスよく、1日4000kcalくらいを目安に」という倉野監督の要望をもとに、メニューを考える。野菜をできるだけたくさん入れ、肉、魚の取り方にも知恵をしぼる。時には、選手に「何食べたい?」とリサーチ。「オムライス」なんて希望にも、手間を惜しまず提供してきた。
同じ献立でも味付けを変え、選手が飽きないように工夫。この日のタコライスも、前回はトウバンジャンで辛めにしたが、今回はカレー風味で隠し味にみそを入れ深みを出した。
厨房でも選手とコミュニケーション
調味料は目分量で、その都度、女子マネさんと味見をして調えていく。長年の主婦の勘が生きた「母の味」だ。「学食、業者に家内の食事。それぞれ味やメニューが変わって飽きない。とくに家内は手作り感満載で好評なんですよ」と、倉野監督も太鼓判を押す。
朝食は、食事当番の選手も調理場に入り、洋子さんとともに包丁を握ることも。一緒に作りながら「体調はどう?」「調子はどう?」と野球や学校の話題に、時には恋愛の話まで。調理を通して、選手とのコミュニケーションを図る洋子さん。会話から選手の性格や状況を知り本音を引き出す。まさに「母」の存在だ。
堀内祐我主将(2年)は、「学食とは違い、奥さんが作ってくださる食事はオリジナルでおいしいです。おかずも豊富なので、ご飯もたくさん食べられます。奥さんと話していると元気が出る。みんなのお母さんです」と話す。「おいしかったです!」。選手の喜ぶ顔が、洋子さんの元気の源。
「40~50人のお母さんなんて、なかなかできないですもんね。楽しいわよ! 」
洋子さんの笑顔が最高のスパイスかもしれない。【保坂淑子】
■選手に寄り添ったサポート、女子マネは料理修行
寮母歴20年を超える洋子さんが「印象に残っている」と話すのは、08年卒業の柴田章吾さん(写真)だ。柴田さんは中3で国指定の難病「ベーチェット病」を発症。それでも「野球を続けたい」と愛工大名電に入学した。以来、寮では他の選手とは別メニューを用意していたという。「脂っこいものはダメ。毎日、本人に体調を聞いて作っていました」。卒業後は明大で野球を続け、11年に巨人入団(14年引退)。昨夏の甲子園では、柴田さんが応援しに来てくれた。「ガリガリだった子が、スーツがパンパンになるくらい大きくなって。こんなに元気になってくれたって、本当にうれしかったですね」。
洋子さんは、体調が悪い選手がいれば、おかゆや雑炊、うどんを作る。一緒に調理場に立つ女子マネジャーの山本花綸さん(2年)は「奥さんが料理を一から教えてくれて、楽しい。普通の高校では経験できないこと。今後、絶対に役立つと思います」と感謝。すべてを包みこむ洋子さんの愛が、選手たちを大きく育てている。
◆愛工大名電 1912年(大元)に創立された私立校。校訓は、誠実・勤勉で普通科、科学技術科、情報科学科に男女が学ぶ。野球部は1955年(昭30)創部。甲子園は春9度で優勝1度。夏は12度出場。主なOBはマリナーズのイチロー球団会長付特別補佐、ソフトバンク工藤公康監督。所在地は名古屋市千種区若水3の2の12。岩間博校長。
(2019年1月10日付日刊スポーツ紙面掲載)