<陸上:日本選手権20キロ競歩>◇17日◇神戸市六甲アイランド甲南大周辺コース

15年世界選手権(北京)男子50キロで日本競歩初の銅メダルを獲得した谷井孝行(36=自衛隊)が、現役最終レースを終えた。

日本選手権男子20キロ競歩で現役最後のレースを終えた谷井孝行(撮影・松本航)
日本選手権男子20キロ競歩で現役最後のレースを終えた谷井孝行(撮影・松本航)

1時間22分51秒の12位でゴールすると、16年リオデジャネイロ五輪50キロ銅メダルの荒井広宙(30=埼玉陸協)らに出迎えられた。美紀夫人(36)と長女の美渚さん(8)からもねぎらわれ「競歩界の仲間に巡り会えたのが本当に大切なことで、その仲間が待っていてくれたことがうれしかった。やめることになって、娘が『さびしい。パパがやめたら、自慢できない』と言ってくれた。頑張ってきて、良かったです」と穏やかにほほえんだ。

日本選手権男子20キロ競歩で現役最後のレースを終えた谷井孝行(右から4人目)と握手する荒井広宙(同5人目)(撮影・松本航)
日本選手権男子20キロ競歩で現役最後のレースを終えた谷井孝行(右から4人目)と握手する荒井広宙(同5人目)(撮影・松本航)

競歩と出会ったのは富山・高岡向陵高だった。小4~中3は野球に打ち込み、投手や捕手。高校では駅伝を志したが、1年の5月に右足の膝下部分を疲労骨折する不運に見舞われた。

母喜代美さん(59)は「自分から病院に行くと言わないし、休まない。だから無理やり連れて行きました」。そこから指導者の勧めで、リハビリを兼ねて取り組んだのが競歩。その秋には神奈川国体出場を決め、「競歩で出るわ」と伝えられた両親が仰天する急展開ぶりだった。

幼少期から貧血に悩まされ、高校時代も栄養補助食品「ミキプルーン」をご飯に混ぜた、茶色のおにぎりを学校へ3個持参。ひじきやわかめを意識的に摂取しながら、地道な練習を積んだ。日大、佐川急便、自衛隊と進み、五輪には04年アテネ大会から4大会連続出場。理想の歩型にほど遠かった08年北京五輪、09年世界選手権(ベルリン)では失格が続き、「やめようかな」とも考えたが、周囲の助言に支えられながら、前を向いて進んできた。

日本選手権男子20キロ競歩で現役最後のレースを終えた谷井孝行(中央)は、娘の美渚さん(左)、妻の美紀さんと笑顔を見せる(撮影・松本航)
日本選手権男子20キロ競歩で現役最後のレースを終えた谷井孝行(中央)は、娘の美渚さん(左)、妻の美紀さんと笑顔を見せる(撮影・松本航)

この日のレース後、自衛隊の後輩でもあった荒井は「いまだに信じられない。たぶん、明日練習していますよ(笑い)。『チームジャパンでやっていこう』という姿勢を見せてくれて、その雰囲気づくりがありがたかった」と先輩の功績をたたえた。ライバルでもある後輩に助言をためらわなかった、兄貴分の谷井は「自分も昔はそうじゃなかった。でも30(歳)前後になって、周りのことを見渡せるようになった。自分だけじゃなく、競歩界全体を底上げしたい。それが自分にとっても、プラスにつながると思った」と冷静な口調で明かした。

引退を決断したのは、20年東京五輪への覚悟を持ちきれなかったため。日大では体育の教員免許を取得するなど、かねて指導者への憧れがあった。今後は自衛隊で後進の育成を図る。「谷井さんみたいな選手を…」と問われると「自分を超えていってもらわないと困る」と言い切った36歳。立場は変われど、競歩への情熱が衰えることはない。【松本航】

谷井孝行(たにい・たかゆき) 1983年(昭58)2月14日、富山県滑川市生まれ。東京・三鷹市で幼少期から小6までを過ごし、両親の故郷である富山へ移住。高岡向陵高-日大-佐川急便-自衛隊。五輪は04年アテネ大会から4大会連続、世界選手権は05年ヘルシンキ大会から15年北京大会まで6大会連続出場。167センチ、57キロ。

(2019年2月17日、ニッカンスポーツ・コム掲載)