<2020 取材ノートから>
この1年で「光と影」を経験した柔道家がいる。東京オリンピック(五輪)男子100キロ超級補欠の影浦心(25=日本中央競馬会)だ。2月のグランドスラム・パリ大会3回戦で五輪2連覇、世界選手権8連覇のテディ・リネール(31=フランス)を破る歴史的快挙を遂げた。
延長40秒。10年間無敗で154連勝中の絶対王者の右内股を透かし、203センチの巨体を転がした。決勝で敗れて準優勝に終わったが、逆転での五輪代表に向けてインパクトを残した。
帰国日。成田空港には通常の4倍以上の30人近くの報道陣が集結。影浦はその反響の大きさに驚いた様子で取材に応じた。
16日後、悲劇が起きた。全日本柔道連盟の強化委員会で“落選”が決まった。五輪代表の原沢久喜(28=百五銀行)と比べて「対外国勢」を考えた中で、1年間優勝なしが評価に響いた。この頃から新型コロナウイルス感染も一気に拡大。活動自粛となり、苦悩の日々が続いた。稽古もできず、落選の現実だけが脳裏に浮かんだ。心と体のバランスが崩れ「このまま辞めようかな」と引退も考えた。
5月に転機が訪れた。元日に結婚した妻(24)と都内で同居を始めた。中途半端なことを嫌う妻が、落胆する夫を見てハッパを掛けた。「やる気がないなら辞める」「やる気があるなら本気で1番を目指す」。この2択を迫られ、目が覚めた。妻の強さと優しさを痛感するとともに、その言葉が24年パリ五輪に向け、そっと背中を押した。
さらに妻は、夫の胃袋にも活力を与えた。外出自粛の中、名店巡りが趣味の影浦に多彩な手料理を提供。そのおかげで気持ちも前向きになった。特に大好物の唐揚げは「抜群」と絶賛し、「妻に感謝してもしきれない」と礼を伝える。守る家族も増えて責任感も強くなり、柔道にも好影響を与えた。
20年は結婚、リネール撃破、五輪落選、コロナ禍など激動の1年だった。パリ五輪を集大成と位置づける25歳の柔道家は、4年後に再び絶対王者を倒して、五輪王者になることを夢見る。東京五輪は補欠が決まり「今は誰も注目してくれない…」と笑うが、柔道人生の試練と受け止める。妻のおかげで、柔道も心から楽しめるようになった。左手薬指に着ける「東京五輪金メダル」の願いを込めた金色の結婚指輪の輝きも、不思議と増しているように見えた。【峯岸佑樹】
(2020年12月13日、ニッカンスポーツ・コム掲載)