<東京五輪がやってくる>

アスリートが身の潔白を証明し、競技の公平さを保つためのドーピング検査は、競技場内だけではない。代表クラスの選手たちにはいつ、どこで行われるのか分からない競技会外検査(抜き打ち検査)が待ち受ける。アーチェリー、オリンピック(五輪)2大会でメダルを獲得し、現在は24年パリ五輪出場を目指す山本博(58=日体大教)に話を聞いた。【取材・構成=平山連】

難解なドーピング検査について実体験を交えて語る山本博(撮影・平山連)
難解なドーピング検査について実体験を交えて語る山本博(撮影・平山連)

「日本アンチ・ドーピング機構(JADA)」のアスリート委員を2008~16年まで務めた山本は、競技者としても実務の観点からも検査についてよく知る人物だ。「一般の人に理解してもらいたいのはドーピング検査は競技場内のルールであって、犯罪ではありません」と強調する。

-初めてドーピング検査を受けたのは

山本 金メダルを取った82年アジア大会。それまで出場した国内外の大会では検査を受けたことがなかったから、当時のことはよく覚えている。88年ソウル五輪のベン・ジョンソン失格は、五輪という舞台でまさかドーピング違反があるとはと一番衝撃を受けたね。

-自身の五輪で印象に残っている体験は

山本 今でも覚えているのは84年ロサンゼルス五輪で銅メダルを取った時。検査ルームに冷蔵庫があって、中にはキンキンに冷えたビールが用意されてた。一日中屋外で試合してたから喉が渇いてて、1、2位のアメリカ人選手から「ヒロシ、どうだ」と渡されてさ(笑い)。3人で「Cheers(乾杯)」って言って、ぐいっと2、3本くらい飲んだかな(笑い)。あの時のビールの味は忘れられない。04年アテネで銀メダルを取った時は入ってなかったね。

-海外ではなぜ違反が絶えないのか

山本 オリンピックが国別対抗戦のようになってしまい、国の威信をかけて戦う考えが強くなった。メダル獲得で巨万の富を得るシステムになっている国もある。検査の手をすりぬけられるとうたうブローカーもいて、選手関係者に口利きする事例もあるとかうわさも聞く。

-日本は違反例が少ない理由は

山本 スポーツにおいて正々堂々と戦う道徳観が根強くあるのが背景にあると思う。不正を働いてまで勝って喜べるのかという考え方が浸透しているのは良いこと。世界に誇るべきことだね。

-他競技と比べアーチェリーの違反例が少ない

山本 薬を使って筋肉や酸素を蓄える量を増やしたって、アーチェリーには意味がない。精神面を安定させる薬はどうだと言われることもあるが、素の自分をコントロールした方が一番シューティングしやすいと思うね。闘争心を失っちゃったら、元も子もないよ。

-コロナ禍で従来の検査態勢のままでよいのか

山本 知らない人に排尿を見られながら、尿検査するのは嫌だよね。鏡がついたてになって後ろから眺めるような策もあるとはいえ、「濃厚接触」だよね。アスリートだけではなく、PCR検査で陰性が確認された検査員しか競技場内に入れない仕組みにするのが最低限の条件だよ。

一方でいつどこで来るのか分からない「抜き打ち」検査は、そういうわけにはいかない。国際大会に出場するような選手は、「ADAMS」と呼ばれるサイトに毎日の居場所情報を登録する。登録された場所に行っても検査ができない場合は「検査未了」となり、それが複数回あると資格停止など厳しい処分が科されることもある。山本自身も2度経験している。

山本 高校の教諭をしてた時、アーチェリー場にいた部員から「スーツ姿の大人の方々が山本先生を探してる」と連絡があった。行ってみると検査で指示に従ってやったけど、良い気持ちはしなかったね。部員たちは先生が何か悪いことしたんじゃないかと心配していた。プライバシーを保護する議論もしてほしいですね。

競技の公平性を期す上でドーピング検査は欠かせない。アスリートたちは、フェアなスポーツを守るために、競技外でも苦心している。

アテネ五輪・アーチェリー男子個人で銀メダルを獲得した山本博(2004年8月19日撮影)
アテネ五輪・アーチェリー男子個人で銀メダルを獲得した山本博(2004年8月19日撮影)

◆ドーピング検査 アスリートから尿や血液といった検体を採取し、分析する施設へ送るまでを指す。禁止薬物使用の有無などは、世界反ドーピング機関(WADA)が認定した分析機関が行う。東京五輪を含む全ての国際大会ではWADAが公開する規定に基づき行われ、試合会場で行われる「競技会検査」と抜き打ちの「競技会外検査」の2つがある。

国際競技連盟(IF)などから検査対象者リストに登録されたトップアスリートは、毎日の居場所情報を提出する義務が生じる。1日1回、午前5時から午後11時までのどこかで「60分時間枠」を指定し、この枠で入力した時間と場所で検査に対応できなかった場合は、「検査未了」となる。12カ月で3回違反すると1~2年間の資格停止になる可能性がある。

◆米陸上コールマンが居場所申告3度怠り 抜き打ちドーピング検査の手続きに違反し、すでに東京五輪出場が絶たれた選手もいる。陸上男子100メートルの金メダル候補だった19年世界選手権覇者のコールマン(米国)は、スポーツ仲裁裁判所(CAS)から18カ月(20年5月~21年11月)の資格停止処分を科された。コールマンは19年1、4、12月の3度、検査に必要な居場所情報の申告を怠っていた。

(2021年4月21日、ニッカンスポーツ・コム掲載)