<週中ベースボール:プロに聞く(2)>
プロ選手の野球人生やプレーの裏側をひもとく「プロに聞く」の第2回は、投手としてプロ入りし、現在は野手で活躍するヤクルト雄平外野手(35)に聞いた。東北(宮城)時代、高校生左腕として史上初の150キロの大台を突破。02年ドラフト1巡目で投手としてヤクルト入団し、09年オフから野手に転向した。鍛え上げられたフィジカルと強い精神力を持つ雄平のルーツを、シニア時代にたどった。
厳しくても当たり前
険しい道を、切り開いてきた。雄平は漠然と「プロ野球選手」の夢を持ち、中学ではレベルの高い緑東シニアへ入団。3歳年上の兄が所属し、厳しさは肌で感じていた。だからこそ諦めなかった。
雄平 あえて厳しい、レギュラーが取れないようなチームに行って、勝負したいという気持ちでした。できるという自信よりも、不安の方が大きかった。それでも、プロになるならレベルの高いところでやった方がいいと。厳しいけど、苦ではなかった。当たり前だと思っていました。
選手は全体で100人ほど。緑東シニアの練習は土日だけだったが、練習量より質を重視する内容だった。AチームとBチームでグラウンドが分かれていたが、学年は関係ない実力主義。Aチームでシートノックを受け、送球が大きくそれるとコーチから「Bチームに行ってこい」と声が飛ぶ。自転車に乗り、約5分。悔しさをかみしめ、Bチームのグラウンドに向かった。
雄平 AチームとBチームの移動は、今思うとすごく刺激を受けました。Bチームに行って、またAチームに行くために一生懸命。どうにかアピールすると「午後はAチームで」ということもありました。1年生でもAチームにいられるし、同級生でもチームはバラバラ。その厳しさに、自分は打ち負けなかったですね。
巨人で投手コーチを務めた関本四十四氏や、DeNAや楽天でコーチの米田慶三郎氏ら、元プロの指導もあった。基礎を繰り返し、コツを習うことで上達する実感があった。さらに当時から大切にしていたのが、自主練習。「自主練習でしか、差がつけられないと思っていた」。練習のない平日は、放課後にチームメートと集まって約2時間、体を動かした。素振りとランニング、シャドーピッチングを欠かさなかった。
雄平 すごくいい思い出です。家の前で、1人でさらに素振りをしていたこともありました。本当は僕は、続かないタイプなんです。でも兄が努力家だったので、一緒にやっていました。小学生の頃から、兄がチームメートとする自主トレに交ぜてもらって、ずっと欠かさなかったです。
一生懸命取り組んだことが、糧になっている。冬場はランメニューを多くこなした。特に坂道ダッシュやクロスカントリーが印象に残っている。苦しかったが、こなすほどに手応えがあった。短距離は得意で、積極的にタイムを競った。
雄平 坂道ダッシュは、いまだにオフにやっています。馬力がつくから、間違いないと思います。当時は成長期で、トレーニングするとものすごく体力がアップする。足も速くなった。小学校高学年から中学生が大事だと思います。僕は一生懸命やっていて、よかったなと思う。
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