<週中ベースボール:若林憲一氏に聞く(2)>
野球で遊ぼう! 都内で「スーパースラッガー野球塾」を運営する若林憲一氏(66)が「子どもに野球をやらせてあげたいが、何をしていいのか分からない」というお父さん、お母さんの疑問に答えてくれました。自身も大洋(現DeNA)で10年間プレー。息子の晃弘内野手(26)は巨人で活躍しています。「打つ、投げる、捕る」の基本動作の大切さをお伝えします。第2回は「捕る」をピックアップします。【取材、構成・桑原幹久】
グラブ持たず視界広く
ポイントは「怖がらない」ことだ。最後の練習メニューは「捕る」。園児たちがコーチと向かい合い、3メートルほど離れた位置へ横一列に並んだ。打撃練習の際にはグラブをはめてスポンジボールを追ったが、今回は手ぶら。コーチから下手投げされたスポンジボールを素手でつかみにいった。
若林氏 グラブが目の前に来るとボールが視界から消えてしまい、反射的に怖がってしまいます。素手にすることで視界が広がる。しっかりボールが見えることで、ちゅうちょなくつかみにいける癖がつきます。
「ボールを最後まで見る」というのは、野球のレベルが上がっても基本的なスキルとされる。「5人全員が1発でキャッチできたらクリア」とゲーム性を持たせることで、園児たちも楽しさにつながるプレッシャーを感じながら、和気あいあいと捕球の練習を行った。単純な練習に見えても、ひと工夫が加わっただけで、一段と内容が濃くなった。
約1時間ほどの練習を終えると、整列した。「ありがとうございました!」とコーチへお礼の声を張った。若林氏はお父さん、お母さんたちと元気よく家路につく園児たちをほほえみながら見送った。「1つできれば自信がついて、どんどんうまくなっていく。だから他の子と比較する必要はない。『うまいね!』『上手だね!』『すごいじゃん!』とほめてあげることが大事」。練習後にコミュニケーションを取ることが、成長を促進させると説いた。
野球に興味を持った子どもたちがお手本にするのは、プロ野球選手だろう。豪快なフルスイング、150キロを超える剛速球、華麗な守備。多くのファンを魅了するプレーに目を輝かせるのは当然だ。時にプロのプレーは「軽い」、「プロだからできるんだ」と表されることもある。だが、若林氏は「イメージをふくらませることも大切。『ああやってできたらかっこいいな』と思うプレーを知らないとまねもできない」と持論を示した。
プロ野球選手は最高の教科書-。「基本は大事。でもずっとそれだけでもダメ。大きくなるにつれて、少しレベルの高いことも学んでいかないといけない」と自身の能力よりやや上を目指し続けることが成長への近道だと強調した。
野球人口の減少がうたわれる中、若林氏は最後にひとつの願いを込めた。「プロ野球選手になれる人はごくわずか。それでも野球が好きになって、野球の楽しさを周りに伝えてくれればありがたいですね」。野球塾の活動を通じ、子どもたちと未来の野球界への夢を紡ぐ。
◆若林憲一(わかばやし・けんいち)1953年(昭28)5月3日生まれ。山梨県甲府市出身。甲府商から71年ドラフト6位で大洋入団。内野手で入団も74年に外野手へ転向。6年目の77年に1軍デビューし、主に代走、守備固めで出場。81年は2軍コーチを兼任し、同年引退。通算163試合、51打数10安打、打率1割9分6厘、1本塁打、5打点、6盗塁。現役時代は177センチ、82キロ。右投げ両打ち。今年6月7日に息子の晃弘がロッテ戦で初アーチを記録し、プロ野球史上7組目の親子での本塁打を達成した。
◆若林晃弘(わかばやし・あきひろ)1993年(平5)8月26日、東京都中野区生まれ。桃園第三小1年から野球を始める。中野第九中では目黒西シニアに所属。桐蔭学園では楽天茂木と同期で、3年夏は神奈川大会4強。法大では4年秋に二塁手でベストナイン獲得。JX-ENEOSを経て、17年ドラフト6位で巨人入団。18年5月12日、中日戦でプロ初出場。2年目の今季は、77試合に出場して5本塁打、21打点、打率2割3分9厘。今季推定年俸880万円。180センチ、77キロ。右投げ両打ち。
◆スーパースラッガー野球塾 プロ野球で10年間プレーした若林氏が、08年5月に開塾した「ベースボールアスリート育成のための野球塾」。基本的な野球技術からプロ野球選手にも共通する合理的動作を若林氏がまとめた「BCM野球指導法」を基に、幼児から小、中学生、一般男女まで幅広く指導している。住所は東京都杉並区高円寺南5の44の1。アクセスはJR中央、総武線高円寺駅、中野駅から各5分ほど。料金、開塾時間など詳細はホームページ(http://www.89baseball.com/index.html
)で。
(2019年11月6日、ニッカンスポーツ・コム掲載)