作新学院(栃木)時代、無二無三の剛速球で甲子園を席巻した「昭和の怪物」江川卓氏(64=野球評論家)が21日、高校球児のために再び声を上げた。新型コロナ禍により中止となった夏の甲子園。江川氏は出場機会を失った球児にエールを送るとともに、高野連に対し、全国約3800校の3年生野球部員に「『土』に代わる記念品を贈ってあげるのはどうか?」と訴えた。

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江川氏は、春夏ともに甲子園を閉ざされた野球部員に元球児として言葉を選んだ。

「中止の決定は、3年生部員にとって人生で最初に起こる、最も大きな出来事だったろうと思います。いくらつらくても、これまで仲間とともに目標に向かってやって来たことが、なくなるわけじゃない。それより、これからの人生には達成できない出来事がいろいろ起こることを知っておいてほしい」

江川卓氏(2018年2月9日撮影)
江川卓氏(2018年2月9日撮影)

チームメートとともに甲子園を目指した先達として、口調は熱っぽさを増していった。

「甲子園は、私にとって春と夏だけに現れる蜃気楼(しんきろう)みたいな場所だった。今年、その場所を目指したチームと選手にとって、それは“幻”のまま、ついには現れずに終わってしまった。でも、その場所に行くだけがすべてじゃない。その“幻”に向けて、全員がチャレンジして来た気持ちこそが大事なのだと思う」

3月11日、センバツ中止が発表されると「夏の大会で『春夏合同』大会が開催できないか? 無理なら甲子園練習日にセンバツ組も参加してグラウンドの『土』を持ち帰ってもらうのはどうか?」と夢プランを掲げた。新型コロナの影響が夏にまで及んでしまったことで、江川氏の思いはますます募る。

「代表校が出場機会を奪われたセンバツに対し、夏はまだ出場校が決まっているわけじゃない。すべての学校に甲子園への可能性が残っていた。参加予定だった全国(約3800校)のベンチ入り18人と記録員のそれぞれ3年生に加えて監督、部長も含み、夢の舞台へチャレンジする権利があったことを、何か記念品のようなもので残してあげることはできないだろうか?」

73年7月、栃木県大会で力投する作新学院・江川
73年7月、栃木県大会で力投する作新学院・江川

その根拠となるのが、江川氏の場合「甲子園の土」だ。40年以上たった今でも、持ち帰ったコーヒー瓶詰めの「土」を見ると、往時が振り返られるという。

「何十年もたって、仲間と会ったとき、子や孫に話すとき、甲子園を目指した『形見』のようなものがあれば、それを見ながら思い出話ができる」

たとえば「第102回夏の甲子園大会出場有資格者」と刻印されたレリーフのような品物を高野連に作製してもらい、3年生に贈るというプランだ。費用に関しては「お金はかかるかもしれないけど、寄付を募れば」と言う。「試合があれば、スコアブックだけでも記念になる。試合がなくなったのだから、何か形として残る物がやっぱりいるんです」と、最後まで3年生部員の胸の内を代弁するように話した。【玉置肇】

(2020年5月22日、ニッカンスポーツ・コム掲載)