通学や買い物といった生活の足、そしてレジャーにもなる自転車。プロレーサーとして、女子最多の優勝99回を誇り、記録を更新し続けているのが、ガールズケイリンの石井寛子(35=東京)だ。かつて日本代表としてW杯にも出場し、17年には賞金女王に輝き、第一線で戦い続ける彼女に、自転車競技との出合いと自転車の楽しさを聞いた。
自転車に乗れるようになると、どこまでも行ける気がする-。そんな経験、誰しもあったはず。小学生の石井も、マウンテンバイク(MTB)で遠出する、活発な少女だった。「レースに出ていたわけではなく、自転車で泊まりがけ旅行をしたり…。自転車は本当に身近な存在でした」。
自転車競技との出合いは埼玉・杉戸農高1年の春。「部活に入るなら陸上部かなとか、野球部のマネジャーもあこがれていました」。すると、自転車部がインターハイで活躍していると知った。「自転車部って何だろう?」。MTBで遠出した楽しい記憶が、よみがえってきた。
短距離用のトラックレーサーにはブレーキがなく、ペダルも空回りしない。ペダルとシューズも固定される。また、室内練習で使用する「3本ローラー」と呼ばれる器具も、バランスを取るのが難しい。「部に3台自転車があってそれを借りて最初は遊んでいる感じでいた。難しかった? それが、すぐ乗れちゃったんです」。面白い。クラスの友人を誘い、女子4人で入部した。当時、女子部員は全国でも20人ほどの時代。だが、顧問や家族の後押しもあった。
初めて走路に出たのは大宮競輪場。そこで不思議な感覚を味わう。「自転車に乗っているはずなのに、地面が勝手に動いている!」。斜度があるコーナーも、恐怖心より楽しさが勝った。
石井のレースでの特徴はパワーではなく、レース展開に応じて柔軟に走る技巧派だ。デビュー前の候補生たちは「石井さんのようになりたい」と、そのうまさにあこがれる。秘密は、高い追走技術。自転車競技は風圧との闘いだ。人の後ろで風を受けず、脚力を温存できれば、勝つチャンスが高まる。「追走って、ただ後ろを走ればいいんじゃない。風の当たらない場所を探すんです。もし、流行のロードレーサーで遠乗りできるなら、誰かの後ろで、風が当たらない所を見つけてみてください」。
コロナ禍でレースがない今も、日夜自転車のことばかり考えて1日が終わる。「自転車のセッティング、体の使い方、それに戦術。考えていると時間が足りない。自転車って、正解がないんです。最近、ようやく自転車と一体になる感覚がわかってきた。両手と両足、座っているサドルの5カ所が自転車に触れている。どこか1カ所だけ強くても進まない。だから、一体感が大事なんです」。
ガールズケイリン2期生として、今年5月でデビュー丸8年。最近、実感したことがある。「ガールズケイリンって、すごい影響力」と声を弾ませる。女子の競技人口は飛躍的に増え、11年には公開競技としてインターハイ種目に、16年から国体にも採用された。「国体種目になるなんて本当にすごい…。やっぱりプロがあると違いますね」。最近、1通の手紙が届いた。母校、それも野球部の顧問からだった。「うれしかった。野球部のマネジャー、やらなかったのにな」と笑った。
「自転車は運動歴、体形や、身長、年齢も関係ない。私、32歳でペダルの回転数の最高値を更新できた。30代でも強くなれるんです。自転車に乗って20年だけど、本当に奥が深い」
もっと強く、速く。石井の自転車の旅は、まだまだ続く。【山本幸史】
◆石井寛子(いしい・ひろこ)1986年(昭61)1月9日、埼玉県生まれ。明大卒。ガールズケイリン2期在校1位として、13年5月10日、ホームバンクの京王閣でデビュー(1着)。競技では12年10月W杯チームスプリントで銀メダルを獲得。17年ガールズグランプリ優勝。通算501戦370勝、優勝99回はいずれも史上最多(5月16日現在)。「京王閣の小悪魔」の異名を持つ。妹貴子(32)と姉妹で活躍中。160・2センチ、59・5キロ。血液型B。
(2020年5月16日、ニッカンスポーツ・コム掲載)