2018年(平30)から、道徳が小学校で教科化された。一部の教科書に採録されている「星野君の二るい打」は、犠打のサインを無視して決勝打を放った、少年野球の星野君を通じて、法や決まりを守ることの大切さを説いた小編だ。集団のための自己犠牲賛美はスポーツ報道の基本フォーマットだ。しかし道徳の教科書として読むと、えも言われぬ読後感が残る。「不道徳お母さん講座」の著書があるライターの堀越英美さんは、この「道徳」をどう読むか。【取材・構成=秋山惣一郎】
-星野君の行動は、不道徳だったのでしょうか
堀越さん 星野君は直感で「打てる」と確信し、実際に打ってチームを勝利に導いた。「野球って楽しい」と感じたことでしょう。私は野球ができないのですが、スポーツの楽しさを象徴するエピソードだと感じます。ところが物語では、星野君の身体感覚を否定し、監督のサインを無視した星野君は悪いという結末になっている。道徳教材としての「星野君-」には、リーダーに従うことが正しいという明確なメッセージがあります。スポーツの楽しさとは別の話ですね。
-最近の保守化みたいな流れを反映しているような
堀越さん 実はこのお話、戦後すぐの1947年(昭22)、少年誌に掲載されたものなんです。52年には、国語の教科書に採録されました。
-ずいぶん古い話ですね
堀越さん 作者は、児童文学者の吉田甲子太郎さん(1894-1957)で、戦時中は児童文化の面で国策に協力し、明治大学の教授も務めた人です。吉田さんは、「星野君-」採録の教科書の編集にも関わった。吉田さんが書いたと思われる「教材の趣意」には「統制に服従するとか、全体のために己を空(むな)しくするとかの民主主義的な訓練が身についていない」という、当時の子供たちに対する問題意識が書かれています。つまり、新しい時代の民主主義を学ぶ教材として採録されたのです。
-「統制に服従する」のが民主主義ですか
堀越さん 吉田さんが考える民主主義は、そういうものだったのでしょう。野球は戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が、日本の民主化のために普及を図ったものです。当時の少年たちにとって、野球は民主化の象徴でもあった。吉田さん本人が意図したものではなかったでしょうが、「星野君-」は、戦中の全体主義的な思想を戦後も延命させる役割を担ったと言えます。
-現代の子供たちは、どう読めばいいですか
堀越さん 「星野君-」は、いつの時代にも通じるシンプルな寓話(ぐうわ)ではありません。初出当時の人々が、戦争をどう総括していたのか、野球に何を託していたのか。学校や家庭、政治や企業社会に置き換え、星野君の行動をどう評価するか。自己犠牲や規則、命令への服従が正しいのか。論点は限りなくあります。道徳の授業ではなく、ディベートの題材としては有用だと思います。
-さまざまな視点を提供するための教材であると
堀越さん ネットの掲示板に、戦後すぐ、小学生のころに「星野君-」を読んだというご老人の書き込みを見つけました。この方によれば、当時の国民には、旧陸軍の司令官たちが、政府の方針を無視して戦線を拡大したから敗戦に至ったのだという共通認識があり、「お前たち、旧陸軍の軍人のようになるなよ」という教訓として読んだそうです。「そういう読み方もあるのか」と驚きました。
-スポーツを巡る物語は、戦後も上意下達や自己犠牲を賛美してきました
堀越さん 2019年、NHK大河ドラマ「いだてん」で64年の東京五輪で金メダルをとった女子バレーボール選手、いわゆる「東洋の魔女」が、とてもいきいきと描かれていました。監督の「熱血指導」に「己を空しく」して従う選手たちを美談として扱うことに批判もあるでしょう。しかし60年代の庶民、特に女性で、社会に出て自己実現できる人は限られていました。スポーツは、女性たちが、誰かのサポート役ではなく、自らの人生の主人公となれる数少ない手段だったのでしょう。「東洋の魔女」も「星野君-」同様、今の価値観では素直に受け取りづらいところがあるけど、古い時代の話だと一口に切って捨てることはできない、とドラマを見て感じました。
-それも時代ですね
堀越さん でも、近年は子供のスポーツ活動の産業化が進んで、貧しい家庭の子供は活躍しづらいと聞きます。スポーツから「持たざる者」の夢が消えて、抑圧や自己犠牲賛美だけが残っているのだとしたら、息苦しい感じもしますね。
-実生活では、不道徳なお母さんだそうですね
堀越さん 私は、先生の考える「正しさ」を忖度(そんたく)して行動できる子供ではなかったので、学校は楽しくなかった。近所の図書館に逃げ込んで、大人が「悪書」と指弾するような本を読みあさりました。不道徳な子供でした(笑い)。母になって、自分の子供が学校の文句を並べると「その文句、すべて正しい」と言いたくなります。伝統、文化、規則の尊重や家族愛、郷土愛、公共の精神…。教科書に載ってる「正しさ」に突っ込みを入れて相対化できる授業なら、楽しいかもしれませんね。
<「星野君の二るい打」のあらすじ>
少年野球チームの試合は、同点のまま最終回を迎えていた。先頭打者が安打で出塁。星野君に打順が回ってきた。この試合、星野君は当たっていなかったが、名誉回復のチャンスだと張り切っていた。
ところが、監督は送りバントで確実に1点を取りにいく作戦をとった。星野君は渋々、作戦に従うことにして打席に入った。だが、星野君は「今度こそ打てる」という確信めいた予感を抱いた。星野君がバットを思い切り振ると、打球はぐんぐん伸びて二塁打に。星野君の活躍でチームは、選手権大会出場が決まった。
翌日、監督は選手たちを集めて、バントのサインを無視して強打した星野君のプレーを問題視した。
チームの作戦には絶対に従うという規則を破り、チームのまとまりを乱した。野球は、結果のよしあしにかかわらず、チームワークの心を養うためのもので、犠牲の精神を理解しない人間は、社会をよくすることはできない。よって、星野君をこのままにしておくわけにはいかないのだ-。
チームメートが監督を見る中、星野君だけが、うつむいたまま、動かなかった。
◆堀越英美(ほりこし・ひでみ)1973年(昭48)、横浜市生まれ。出版社、IT系企業勤務を経てライターに。インターネット草創期の人気ブロガーとしても知られる。著書に「不道徳お母さん講座 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか」(河出書房新社)、「スゴ母列伝」(大和書房)など。中1と小3の2女の母。
(2020年6月20日、ニッカンスポーツ・コム掲載)