びわ湖毎日マラソンで、鈴木健吾(富士通)が日本選手として初の2時間4分台となる2時間4分56秒の日本新記録を樹立して優勝した。鈴木の快走には度肝抜かれたが、一方で33歳になるベテラン川内優輝(あいおいニッセイ同和損害保険)が2時間7分27秒の10位と、8年ぶりに自己ベストを更新したことに衝撃を受けた。

びわ湖毎日マラソン大会を10位でゴールした川内優輝(撮影・上田博志)
びわ湖毎日マラソン大会を10位でゴールした川内優輝(撮影・上田博志)

福岡大の田中宏暁教授の言葉

従来の記録(2時間8分14秒)を47秒縮める激走。己の身体一つで勝負する世界で、ピークを過ぎたと思われる年齢ながらまだ進化できることを証明した。そのレースぶりを振り返ると、30キロ以降の12.195キロを37分24秒と走破している。30キロ~35キロ(5キロ)は15分12秒、35キロ~40キロ(5キロ)は15分26秒、40キロ~ゴール(2.195キロ)は6分46秒だった。このタイムは、2時間6分26秒で2位に入った土方英和(終盤12.195キロ=37分27秒)よりも3秒速かった。

福岡大の田中宏暁教授(2012年)
福岡大の田中宏暁教授(2012年)

今回のびわ湖は、30キロ以降に強い川内の持ち味が最大限に出たレースだと言える。前半から一定ペースで押すタイプの川内は「後半型」だ。9年前の2012年春、川内の走りを検証するため、福岡大で運動生理学を研究する田中宏暁教授(福岡大名誉教授、2018年逝去)のもとに足を運んだ。市民ランナーとしても活動していた田中教授が教えてくれたのは「マラソンは知恵のスポーツ」。その言葉が、再びここで浮き上がった。

なぜ川内は後半に強いのか? そう問うと田中教授は「単純なことです。ガス欠を起こしていない。一定のペースで走っている中、ほかの選手が落ちているだけです。マラソンは30キロから失速しないよう、知恵を絞るスポーツです」。

運動生理学では、終盤の失速は体内に疲労物質の「乳酸」がたまることから起きる。俗に言う「へばり」だ。走行中の選手のエネルギーは、体内に蓄積された糖質(グリコーゲン)と脂肪が主役になる。そのグリコーゲン(※肝臓や筋肉に含まれている動物性の多糖類の一種。容易にブドウ糖に変わり、動物のエネルギー源として重要な役割を果たす物質)を使い切ってしまうとガス欠となり、足は止まる。

「レースの途中で頑張ると乳酸がたまってしまう。乳酸はグリコーゲンが使われていることを示します。グリコーゲンとは車で言えばガソリン。それを使いすぎてなくなると、へばる。世界のトップ選手はガソリンを温存して、脂肪で走っている」

オーバーペースが続けばガス欠

医学博士の田中教授は長年、速く走るための科学的根拠をデータから探ってきた。ランナーの血中乳酸濃度に着目していた。ゆっくり走れば乳酸はたまらないが、あるスピードを超えると急激に乳酸がたまり始める。その急増し始めるポイントを「乳酸閾値(いきち)」と言う。田中教授はそれがマラソンの平均スピードと密接に絡むことに気付いた。

川内の場合、乳酸閾値は推定、分速320メートル~340メートル(2時間8分~12分)。このペースで走ればグリコーゲンが枯渇することなく、マラソンを走り切れるという。

糖質のグリコーゲンと脂肪を消費することで走る力は生まれる。グリコーゲンは分解が容易で即効性がある。一方で脂肪は多くの貯蔵が出来る利点はあるが、即効性に乏しい。だからスピードを出せば出すほど即効性のあるグリコーゲンが使われ、オーバーペースが続けばガス欠になる。つまり30キロまではできる限り脂肪を使い、踏ん張りどころでグリコーゲンを生かす走りが理想的なのだという。

車に置き換えるなら、ハイブリッドカーの考え方になる。一般に普及しているガソリン車のエンジンは、低速の時に燃費の効率が悪い。そこでハイブリッドカーは低速時は電気で動くモーターを使い、燃費のいい速度になればガソリンで動くエンジンに切り替わる。30キロ以降に追い上げる川内は、そんな走りに近い。今回のびわ湖でも、体内でグリコーゲンがしっかり働き、足が止まることがなかったことが推測できる。

この川内の走りについて、田中教授は「おそらく多くのレースを経験する中、自分のフィーリングでつかんだ。これ以上(スピードを)出すとダメだと。そこがクレバーなところ」と話していた。

皇子山陸上競技場をスタートする選手たち。中央60番は川内(撮影・上田博志)
皇子山陸上競技場をスタートする選手たち。中央60番は川内(撮影・上田博志)

結婚にシューズ、環境が後押し

もう1つ、川内がガス欠しないのには理由がある。「グリコーゲンローディング」の実践である。レース前の食事でグリコーゲンを体内に貯蔵するために、糖質となる炭水化物を多く摂取するものだ。川内は験担ぎとしてカレーをレース前日に食べる。田中教授は「辛いからご飯もいっぱい食べる。計算してやっているか分からないけどグリコーゲンの貯蔵量は増える」と指摘していた。

当時の川内の自己ベストは2時間8分37秒(11年東京マラソン)。一流ランナーの証しとも言える7分台に突入するためには何が必要か? 田中教授は「体重でだいぶ変わってくる」。速く走るためにボディーを軽量化するF1カーのように、マラソンランナーも体重を落とすことは不可欠な要素だと力説していた。それができれば「7分台はもちろん、6分台が出てもおかしくない。まだまだ知恵の部分が必要になってきます」。

今になって当時の取材メモを見直すと、その未来を予見したような言葉だと思った。大食漢で太りやすい体質の川内だが、結婚したことで、独身時代のように好きなものを好きなだけ食べることもなく、コンディション管理の面も良くなったに違いない。そしてシューズの進化。びわ湖のレース後、川内が「(靴を)変えたことは大きい」と話したように、技術革新が著しいアシックス社製の「厚底シューズ」で臨んだことも一因だろう。疲労を軽減し、終盤に足を残せたことは大きかった。もちろ故障せず、練習を積める強い身体に強い精神力もある。

実に10年越しの7分台突入となった。亡き田中教授の言葉を借りるなら、マラソンとは忍耐力を試すものでなく「知恵のスポーツ」。記録とは身体資源×技術+知恵なのだ。33歳、川内の力走にその言葉をかみしめた。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

(2021年3月1日、ニッカンスポーツ・コム掲載)