各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。ボートレース界で屈指のイケメン選手、永井彪也(ひょうや、28=東京)。そのスマートな容姿だけでなく、最高グレードのSGやG1といった記念レースに参戦し、レーサーとしての実力でもファンに支持されている。28歳は、ボート界ではまだ若手。伸びシロいっぱい成長途上、永井の今に迫った。

前検で表情を引き締める永井彪也
前検で表情を引き締める永井彪也

永井がボートレーサーの道を選んだことに、いとこの存在があった。後藤翔之(しょうし)、隼之(はやと)、美翼(みく)の3きょうだい、いとこ3人が同じ東京支部の所属選手として頑張っている。

永井 これはホント、影響が大きいです。いとこ(翔之)のレースを見に行って「ボートをやりたい」と強く思いました。間近で見るレースのスピード感がすごかったです。賞金がいいとか、どうとかじゃなかった。純粋に「ボートをやりたい」と。

年長の翔之は101期生で、ひと足先にデビュー。そのレースを見てスポーツとしてのボートに魅了された。そして隼之、美翼とともに109期生としてボートレーサー養成所に入所、厳しい訓練を受けた。

永井 養成所には、2度と戻りたくありません(笑い)。

2019年9月、優勝目指しトップの永井
2019年9月、優勝目指しトップの永井

永井はデビューしてから特定の先輩選手に付く師弟関係を結ばず、1人で頑張っていた。ボートは養成所に入るほとんど全員がボートに乗った経験がなく、文字通り一から養成訓練を受け、修了するとプロ選手としてデビューする。ここでルーキーが直面するのは、あまりに大きな実力差。プロペラやエンジンの調整力、レースにおけるスピードやテクニックなど、経験値に勝るベテランとは、天と地ほどの開きがある。そういった差を埋めていってくれるのが、先輩らのアドバイスと練習。そんな時に指導者としての師匠がいると、選手として成長する大きな助けになる。

永井 まず3年間、1人でやっていこうと決めてました。1人でやっていく中で、いいなと思う人がいたらその人に付こうと。それが(中野)次郎さんだったんです。信頼できる師匠に付くことができて良かった。でも1人でやっていた時間も全然、無駄ではなかったと思ってます。レースは1人でするものだし、自分で考えなきゃいけないことはたくさんありますから。うまくなりたいという気持ちは、常に持てています。

師匠の中野も永井のことを頼もしく見ている。「人間がしっかりしてますね。プロペラの形とかは、2人で違ったりするんですけど、自分でいろいろと悩んで結果に結びつけている。ぼくが勉強になったりしますから」。ちょっとうらやましくなる師弟関係だ。

19年9月、ヤングダービーで優勝した永井彪也(中央)は島村隆幸(左)らから祝福を受けた
19年9月、ヤングダービーで優勝した永井彪也(中央)は島村隆幸(左)らから祝福を受けた

永井が飛躍のきっかけをつかんだのは19年。9月に三国ボートで行われた若手レーサーNO・1を決めるプレミアムG1レースのヤングダービーで優勝を遂げた。ここから一気にブレークしていきSG、G1の記念レースにも定着していった。イケメンだけでなく実力も伴った主役級レーサーに成長を遂げた。

永井 この高いレベルで常にレースしたいと思います。正直、厳しいです。簡単には結果が出ないし、自分の弱い部分を知ることになりますし。レースもそうですけど日々、変化していると感じます。自分も変化していかないと。そしてこのレベルで活躍したい、もっと。今年は「自分の強さ」を見つける年にしたいと思ってます。その強さを徐々にでも発揮できるようにしていきたい。

最後にボートレース、レーサーの魅力を聞いてみた。

永井 人間は、ちっぽけな存在だと思うんです。なかなか成長していけない。経験、努力、人との付き合いとか、いろいろなことを経て成長していけるんじゃないかと。ボートレーサーは、頑張れば頑張るだけ自分に返ってきます。自分との闘いでもあるけど、やったことは必ず返ってくる、そう思ってます。1度はレーサーをやってみて、と言いたいですね。【中川純】

◆永井彪也(ながい・ひょうや)1992年(平4)11月15日、東京・町田市生まれ。11年11月、ボート109期生として平和島でデビュー、同年12月に多摩川で初勝利を挙げ、14年12月に戸田で初優勝。19年9月の三国ヤングダービーでG1初出場初優勝を飾る。SGは同年12月の住之江グランプリシリーズで初優出し2着した。165センチ、52キロ。血液型はA。

(2021年1月30日、ニッカンスポーツ・コム掲載)