<コロナに翻弄された人たち:2020年を振り返る>
教員生活37年、最後の晴れ舞台は幻となった。センバツ21世紀枠選出の帯広農(北海道)・白木繁夫部長は3月いっぱいで定年退職となった。新型コロナウイルス感染拡大を受けて大会は中止。「選手や監督に夢を見させてもらった。昨秋の全道大会で終わるはずだった。忙しさを味わえただけで、ありがたいです」。
自身は夏の甲子園5度出場の古豪、帯広三条の正捕手として77年北北海道大会8強も、甲子園には届かなかった。別海、帯広柏葉などで監督、部長を歴任。帯広農赴任13年目にして訪れたチャンスは、思わぬ形で消えた。
「いくらでもやり直しはきくんだよ」
2月27日、応援団会議出席のため大阪の日本高野連を訪れた。「応援団がどう中に入って出て行くとか。甲子園はこうやって細かいことまで段取りして運営されているのかと実感した」。初めて臨む聖地での会議の緊張感に気持ち高ぶらせる一方で、状況は悪化していった。感染拡大を受け同日、安倍首相(当時)が3月2日からの全国小中高校一斉休校を要請。6日から予定していた関東遠征も、中止せざるをえなかった。
3月1日から全部員を実家に戻して練習は休止。日本高野連が4日、無観客で開催準備する方針を出して以降、同校には「何で野球だけやるんだ」と抗議の電話が相次いだ。北海道は全国的に見ても感染者が多く、ネット上には「北海道のチームが辞退すればいい」と心無い書き込みもあった。
チームは7日から少人数で練習再開。選手を集中させるにはどうしたらいいか。「言いたい人はいつだって言ってくるし、苦しい時はネガティブなものに目がいきがち。今は開催されたときに恥ずかしくないよう、しっかりやるべきことをやろうじゃないか」と諭した。
11日の中止決定は、テレビの速報を見た校長から伝え聞いた。「ショックでした」。9年前の東日本大震災と同じ日だった。翌12日、室内練習場に部員を集め、こみ上げるものをこらえながら、説いた。「震災で命を落とした人もいる。みんなはまだ命がある。人生、思うようにいかないことはあるけれども、いくらでもやり直しはきくんだよ」。自身がベンチ入りする夢はかなわなかったが、一教育者に徹した。
16歳若い前田康晴監督(44)は「いつも冷静に助言してくれる父親みたいな存在」と言う。経験に裏付けられた的確なメッセージがチームを支えていた。24日に離任式を終えた白木部長は、笑顔で「やりきりました」と話した。4月以降、他校の時間講師をしながら「少しゆっくりしたら」帯広農野球部の練習を手伝うという。今後は陰ながら“なつぞら旋風”を支えていく。【永野高輔】
(2020年3月29日、ニッカンスポーツ・コム「野球の国から」より)
【後日談】
夏の甲子園交流試合で、帯広農は明治神宮大会準優勝の高崎健康福祉大高崎(群馬)を4―1で破り、甲子園初勝利を挙げた。白木さんは現在、帯広農の“コーチ”としてチームに携わっている。