<コロナに翻弄された人たち:2020年を振り返る>

8月15日の甲子園高校野球交流試合で、センバツ21世紀枠の磐城(福島)は昨秋の東京王者・国士舘と堂々と渡り合った。磐城高OGで、福島県浪江町出身の日刊スポーツ鎌田良美記者が思いをつづった。

甲子園で、国士舘打線相手に力投する磐城先発の沖(2020年8月15日)
甲子園で、国士舘打線相手に力投する磐城先発の沖(2020年8月15日)

聞きたかった演奏、いたかったみんな

テレワーク明けの初夏、3カ月ぶりに出社すると手紙が届いていた。消印はいわき市。背番号11、佐藤綾哉投手(2年)の祖母久美子さんからだった。センバツを決めた1月、同じ浪江町出身と知って話した選手だ。小1で原発から避難し「浪江の生活はあまり覚えてません」と言っていた。

面識はないはず、のご家族。だが差出人はまさかの知った人だった。実家の斜め前の、電器屋のおばちゃん。佐藤はお向かいのお孫さんだった。手紙には磐高野球部が1面を飾り、喜んでコンビニを何軒も回ったことや、大会中止の無念さが記されていた。3年生に吹奏楽部のいとこがいて「もし綾ちゃんが甲子園に行ったら、私が吹奏楽で応援してあげるね」と、幼少期から約束していたという。

国士舘戦をテレビ観戦して、少し寂しく感じた。吹奏楽部は上手なのだ。出場20回、金賞6回の全国大会常連。中継には佐藤が継投に備え、肩をつくる様子が映った。演奏したかっただろう。聞きたかった。吹奏楽部だけじゃない。応援団も在校生もOBも「そこ」にいたかったはずだ。

心つかまれる子どもたちがいることを…

岩間主将が甲子園への思いを強くしたのは、避難時に見た11年センバツだという。地元を追われて怖かったと思う。それは大人も同じで、津波や原発のことは考えたくなかった。当時アマ野球担当だった私は、逃げるようにセンバツ取材に乗り込み、優勝原稿を書く機会に恵まれた。あの時、東海大相模の主将が言った言葉が忘れられない。「東北の球児にも、この金メダルをかけてあげたい」。

東京の強豪私学と東北の県立進学校。対照的なのに、21世紀枠を忘れるほど強く、すがすがしかった。小2の岩間があの春甲子園に憧れたように、この日の磐城に心つかまれる子どもたちがいるだろう。いつの日かセンバツ1勝をつかむ時には、今度こそ甲子園のスタンドで、みんなと喜びたい。いい試合を見た。私の中では、金メダルです。【OG・鎌田良美】

◆鎌田良美(かまた・よしみ)兵庫・姫路市生まれ。4歳で大阪・茨木市から福島・浪江町に引っ越し、18歳まで過ごす。浪江幼稚園、浪江小、浪江東中、磐城高卒。津田塾大英文学科から09年、日刊スポーツ入社。編集局スポーツ部五輪班を経て、10年4月に野球部配属。アマ野球、ロッテなどを担当。

(2020年8月16日、ニッカンスポーツ・コム「We love baseball」)