<コロナに翻弄された人たち:2020年を振り返る>

花巻東(岩手)の水谷公省外野手(3年)が、父の横浜隼人(神奈川)水谷哲也監督へ“返信”で感謝と決意を告げた。

甲子園で対決する夢はコロナ禍により消えたが「佐々木(洋)監督、地元の人や仲間から相手を思う大切さを学ばせていただいた。そして、離れていても家族の支えがあったからこそ、つらいことも乗り越えられた」。

小学生当時に菊池雄星を擁して甲子園準優勝した同校に憧れ、神奈川から越境した挑戦には「本当に来て良かった」と胸を張った。

岩手独自大会1回戦の大船渡東戦で、右翼席場外に特大3ランを放つ水谷公省外野手(2020年7月14日)
岩手独自大会1回戦の大船渡東戦で、右翼席場外に特大3ランを放つ水谷公省外野手(2020年7月14日)

今年3月、父から荷物が届いた。開けると、1通の手紙。「1日は一生の縮図なり」の言葉が記されていた。野球日誌の表紙にも太マジックで書き込み、貴重な時間を全力で駆け抜けた。

5月20日、夏の甲子園中止決定。夜に父からの電話が鳴った。

「ピンチこそチャンス。目標を立てて、どう向かっていくかが大事」。泣いている場合じゃない。涙を拭ってバットを振った。

横浜隼人・水谷哲也監督
横浜隼人・水谷哲也監督

岩手県の独自大会は4番として130メートル特大弾などで存在感を示した。準決勝敗退の夜は、父に結果報告。「野球人生は長い。次のステージに向かって、今は休む時じゃないよ」と背中を押してもらった。

次の目標は、もう1つの父との夢、プロ野球選手。大学進学を決断し「打撃だけでなく走攻守そろった選手になります」。お父さん見ててくれ。【鎌田直秀】

水谷公省から父親への手紙(2020年8月25日)
水谷公省から父親への手紙(2020年8月25日)

(2020年8月30日、ニッカンスポーツ・コム「野球の国から」)

花巻東の水谷と横浜隼人の水谷監督、親子の巡り合わせ

【1年前…】
2019年の全国高校野球選手権(夏の甲子園)1回戦で、花巻東は鳴門(徳島)に4-10で敗れた。水谷公省内野手(2年)は試合後「3年生と…」と声に出すと、一気に感情がこみ上げた。涙が止まらない。しばらく黙した後に「もう少し一緒にやりたかった」と泣きながら続けた。

泣き顔がそっくりだった。父は横浜隼人の水谷哲也監督。09年、神奈川大会で優勝し号泣。初めて甲子園に出場したその夏の、2回戦の相手が花巻東。当時も今も、花巻東を率いるのは佐々木洋監督だ。水谷監督の下、横浜隼人でコーチをしていたことがある。

09年7月29日、夏の甲子園神奈川県大会決勝で、延長11回サヨナラ勝ちで優勝が決まり大喜びのナインに胴上げされる横浜隼人・水谷哲也監督
09年7月29日、夏の甲子園神奈川県大会決勝で、延長11回サヨナラ勝ちで優勝が決まり大喜びのナインに胴上げされる横浜隼人・水谷哲也監督

その教え子に、次男の成長を託した。「横浜隼人が初めて甲子園に出場してから10年。まさか息子が花巻東に進んで、甲子園に出るとは。すごい巡り合わせですよ」と水谷監督も驚く。しかもその2回戦を、当時6歳の公省少年はスタンドで見ていた。

数奇な巡り合わせはこれだけではない。水谷監督は徳島出身。幼少期から、年末年始には家族で帰省してきた。1回戦の相手はその徳島代表・鳴門。「野球の神様がくれたことなのかな、と思います」と公省は感慨深げに話す。

「8月9日、野球の日の第1試合にできることに感謝します」とうれしそうだった水谷監督はこの日、甲子園にはいなかった。「監督である以上、横浜隼人の野球部員たちが“うちの子”みたいなものですから」。息子には「全国はそんなに甘くないぞ」とだけメッセージを伝え、新チームの育成に心血を注ぐ。

全国高校野球1回戦対鳴門戦の8回裏無死、水谷公省は死球を受けるも雄たけびを上げる(2019年8月9日)
全国高校野球1回戦対鳴門戦の8回裏無死、水谷公省は死球を受けるも雄たけびを上げる(2019年8月9日)

今夏神奈川大会は3回戦で敗退し、7月末から北海道で合宿。そこからフェリーで東北に渡り、9日はちょうど花巻東のライバル・盛岡大付(岩手)と練習試合をしていた。「うちも3対5で負けました」。

公省(こうしょう)の名は父が付けた。甲子園で優勝、字は違うけれど略して公省。3打数無安打に終わった次男は「4番なのにふがいない結果で本当に申し訳ない気持ちです」と唇を震わせ「どんな相手が来ても動じないチームになりたい」と、二度のチャンスが残る甲子園優勝への思いを口にした。

地球とボールとご縁はまるい-。父が好む言葉通りなら、来年の夏も、水谷親子には神懸かった巡り合わせが訪れるかもしれない。【金子真仁】

(2019年8月9日、ニッカンスポーツ・コム掲載)