過酷な減量を乗り越えて東京五輪柔道男子100キロ級で金メダルを獲得したウルフ・アロン(25=了徳寺大職)が、学生たちへ減量について提言した。
やっぱり最後はお米、試合の合間もおにぎり
ウルフは五輪代表男女14人で最も減量幅が大きく、最大18キロ減量したこともある。ここ数年でさまざまな減量法を試し、減量を回避するために100キロを維持したり、2週間で一気に10キロ超を落とすなど試行錯誤した。その結果、独自の減量法を編み出して大舞台に臨んだ。功を奏して、17年世界選手権と19年全日本選手権を合わせた史上8人目の「3冠王」となった。
ウルフ流の減量は、大会約2カ月前から体重を意識する。110キロ超の体重を徐々に105キロまで落とし、最後の1週間で5キロ落とす。そして、前日午後8時の公式計量後の「食事のリカバリー」が重要とする。無造作に選ばれた選手は当日計量を行うこともあり、規定体重の5%を超えると失格。100キロ級なら105キロ以内となる。試合前夜は、「105キロ」の数字を意識しながら食べて体力を回復させる。勝負めしを「お米」とするウルフは五輪前夜、栄養士が計算して用意したおにぎり28個分のご飯と少量のおかずを平らげた。
「やっぱり最後はお米。米を食べないと力が出ない。普段はご飯1杯しか食べないけど、試合前になるとめちゃくちゃ食べる。試合の合間の補食もおにぎりと決めている」
食欲旺盛だった子ども時代、大学から質を追求
自他ともに認める食いしん坊だ。学生時代は「食べたい物を食べる」がポリシー。小6で160センチ、87キロ。給食のおかわりや弁当2、3個は当たり前。母から「もうやめなさい」と注意されるぐらい食欲旺盛だった。肉料理が大好きで、特に「ソーセージを食べ始めたら止まらなかった」。給食で配膳係を務めた際には、自身がおかわりができるように、少し余りが出るように調整していたほど。中学まで公立のため購買部がなく、部活後の買い食いは「一切しなかったし、親も厳しくてできなかった」と思い返す。部活後は講道館で稽古して、帰宅は毎日午後9時過ぎ。低脂肪牛乳1リットルを片手に、母の手料理を食べ尽くした。毎晩、大量の多彩なおかずと大盛りご飯1杯が決まりだった。
強豪の東海大に進学後、「100キロ級で一番強くなるためには」と考え時に、体の質を考えるようになった。ただ、ボディービルダーのような体格を目指すのではなく、スタミナを考慮し、ある程度の脂肪もある柔道家としての肉体を追求した。筋力向上のためには「やっぱり牛肉」と強調し、独自の見解を展開する。
「牛は生物的な大きさでも大きく、豚でもなく鶏でもなくやっぱり牛。ただ、値段が高いから鶏にも手を出すけど、特に牛のヒレは意識して食べるようにしている。牛はやっぱりパワーになる」
自炊で栄養学や予算身につく
異色の料理人としての顔も持つ。コロナ禍の影響で五輪が1年延期となると、柔道の技術だけでなく、栄養管理のために包丁技術も磨いた。自炊をきかっけに料理に目覚め、YouTubeを参考に見よう見まねで挑戦。魚屋では職人の包丁技術を目で盗んで勉強した。凝り性でもあり、休日には豊洲市場まで足を運び、後輩たちに多くの手料理を振る舞った。
「この1年で魚の消費量が著しく増えた。魚だとおいしく減量できることも知った。最近だと、カンパチやブリ、タイなどをさばく。子供たちにも『学生だから…』と言って、親に食事を作ってもらうだけではなく自炊を覚えた方がいい。自然と栄養学や予算なども学べていいことしかない」
減量は自分に合った体形になってから
柔道は階級別のため競技と減量は切り離せないが、「個人的な考え」として学生たちにこう呼びかけた。
「成長期に減量で食事を制約すると、悪い意味で成長を止めてしまう。高校までは好きな物を食べて大きくなった方がいい。自分に合った体形になって階級が定まってから減量するべき。食事は楽しいものだし、楽しい時間。減量は苦しいけど、この考えは大切にしてほしい」
取材は都内のカフェでランチしながら聞いた。五輪後は金メダリストとして多忙の日々を送り、ウルフはトレーニング直後で一体どのぐらい食べるのか気になったが、注文したのは「若鶏の唐揚げ(油淋鶏ソース付き)定食」。ご飯は普通盛りで、店員さんに「おかずを1.5倍にしてください」とお願いしていた。「うん、うまい!」「このソースはどうやって作るんだろう」と言いながら数分で完食。食事前後には手を合わせて「いただきます」「ごちそうさまでした」と言って、食べ物に感謝していた。柔道だけでなく食事でも礼節を重んじる姿を見て、強さと優しさを兼ね備えた金メダリストだなと感じた瞬間だった。【峯岸佑樹】
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