<体力の正体は筋肉/第2章:体の動くところに筋肉あり(4)>
骨格筋を動かすエネルギー通貨は在庫が少ない
こうした構造をもつ骨格筋ですが、脳からの命令がない限り、それ自体が勝手に動くことはありません。
脳からの命令の伝わり方は、大きな流れでいうと次のようになります。
大脳の運動野からの命令が電気的刺激(インパルス)として中枢神経系の神経経路を伝わり、脊髄内にある運動神経細胞(運動ニューロン)から軸索突起と呼ばれる神経線維に到達します。
するとその末端から、電気的刺激はアセチルコリンという刺激伝達物質に変換されて放出され、それが、シナプスという接続部位を介して骨格筋細胞に伝わって筋の収縮を起こすわけです。
私たちが体を動かしているときは、このような情報伝達の流れが、体のあちこちで絶え間なくくり返されています。
骨格筋が収縮するときにエネルギーとして使われるのが、前述のアデノシン三リン酸(ATP)で、「エネルギー通貨」ともいわれています。ATPは酵素の作用で、「アデノシン二リン酸(adenosine diphosphate:ADP)」と「無機リン酸」とに分解され、そのときに放出されるのが骨格筋収縮のエネルギーとなるわけです。
ここに大きな問題が1つあります。
このATPは、ふだんは筋肉内に貯蔵されていますが、量はごくごくわずかで、ほんの数秒の骨格筋収縮によって消費されると、在庫がまたたく間になくなってしまうのです。
そのために、食事によって取り込んだ糖質や脂質などを使って体内で再合成し、供給してあげなければなりません。
ATPを再合成するしくみは、ATP─CP系(非乳酸系)・解糖系(乳酸系)・クエン酸(TCA)回路系の3種類がありますが、体内でこのような「エネルギー代謝」が行われなければ、ATPの在庫はなくなったままです。
ですから、体を動かすためには、骨格筋のエネルギー源(エネルギー基質)となる栄養素を食事によってきちんととらなければいけないわけで、栄養素が不足してしまうと大変な事態を招いてしまうことがこれでお分かりでしょう。
骨格筋の役割は体を動かすだけではない
骨格筋は、脳からの命令によって体を動かすためだけにあると思われがちですが、実はそうではありません。意外にも、がんや糖尿病を予防し、脳を刺激して認知機能を改善するなどの可能性のある重要な物質を分泌している、いわば内分泌器官でもあるのです。
近年注目を集めているのが、デンマーク・コペンハーゲン大学のベンテ・ペダーセン教授のチームが発見した「マイオカイン(myo:筋、kine:作動物質。筋肉由来内分泌因子)」と総称される30種類以上のホルモン群です。そのいくつかを説明しましょう。
「ミオスタチン」は、骨格筋細胞の増殖を抑えるTGF-βスーパーファミリーたんぱく質です。筋肉をきたえている人にはじゃまな存在と思われがちですが、筋肉が異常に発達することによってエネルギーを浪費してしまうのを防いでくれます。
「カテプシンB」は、生物の細胞内(とくにリソソーム)に蓄えられているたんぱく質分解酵素群の総称です。記憶力を高める可能性のある物質ともいわれています。
「IL-6(インターロイキン-6)」は、感染や疾患に対する免疫系、血液系などの生体防御を活性化する重要な物質です。免疫細胞の暴走を抑えてくれます。
「スパーク(SPARC:Secreted protein acidic and rich in cysteine)」は、大腸がんの細胞の自然死を活性化させ、その発症を抑える可能性がマウスを使った研究で示されています。
これまで、大腸がんの予防に身体活動の重要性が指摘されてきましたが、「スパーク」に関するこうした研究が将来、運動による大腸がんの予防効果の解明に寄与するのではないかと期待されています。
「アイリシン」は、脳の神経細胞の新生・再生に欠かせない「BDNF(Brain Derived Neurotrophic Factor:脳由来神経栄養因子)」と呼ばれる重要なたんぱく質の濃度を高めて、脳の働きを促進する作用があるといわれています。
ほかにも、動脈硬化の進行を遅らせる「アディポネクチン」、アルツハイマー型認知症の原因となる物質アミロイドβを減らす「IGF-1」は、いずれもマイオカインです。
このように、骨格筋から分泌されたマイオカインは、血液の流れに乗って体のあちこちに届けられ、さまざまな働きかけをしているわけです。
ここでポイントとなるのは、マイオカインは、運動不足などでほとんど使われずに新陳代謝が十分に行われていない骨格筋からは分泌されにくく、分泌される量にも限りがあるという点です。つまり、マイオカインの分泌を促すには、骨格筋を動かす運動をコンスタントに続けて筋量を増やすのが有効です。
体を動かさなければ、病気にかかりやすくなる─私たちの体は、動くことを前提につくられているものなのです。
(つづく)
※「体力の正体は筋肉」(樋口満、集英社新書)より抜粋