笑顔になってもらえることで頑張れた

-現役生活のハイライトには11年のW杯優勝があると思うが、今、当時を振り返るとサッカー人生にどんな影響をもたらしたか

大野 自分たちが優勝したことで、震災があって、たくさんの方からありがとうございますと言われますけど、お礼を言われるのは自分たちには不思議で。逆に言いたいんですよね。そういう人たちが笑顔になってもらえるのであればということで自分たちは頑張れたので。その人たちがいなかったら自分たちはもしかしたら優勝できていなかったと思うので。これからもそういう人たちのために、自分たちが何か変えられるものがあるとするならば、指導者としてそういうものをしっかり変えられるようなプレーを見せていけるようなプレーができる選手ををつくれるようにしていきたいなと思います。

-指導者を目指そうと思ったきっかけは

大野 現役中にたくさんの指導者に会いましたが、一緒に練習していてメニューがすごく楽しかったんですよ。なんでこういう風に練習して、それがどう試合につながるのかという説明を受けて。見本をみせてくださいよって言ったらうまくて。自分へのインパクトが強くて。こういうのいいなっていうか、辞めたらこういうのがいいなというような。そういうものをすごく思って。きっかけというか、それが衝撃でした。

-これからプライベートでやりたいことは

大野 すでにいろいろ始まってるんですけど、お昼間にお酒を飲むとか。食事も気にせずバクバクいってしまうところとか。もう頑張らなくていいんだっていう気持ちになったり。現役だと考えられないことが、OKになってしまうところが楽しくて。それを満喫というか、楽しんでいます。

五輪選手になることは夢だった

-今年は東京五輪もあるが、今のなでしこジャパンをどう見ているのか。

大野 自分にとっては五輪選手になることは夢だったので。それはなりたくてもなれるものではないですし、そういう場所に立てて自分がメダルを獲得できたことは忘れられない思い出です。それを今のなでしこは実現しようとしていますし、自分がもう1度、ここに立ちたい、立っていたんだなという目線でみれるのは面白いと思っています。心から本当に応援できると思っていますし、選手にとっては人生で1度しかないチャンスなので、東京で五輪ができることがうらやましくてしょうがないですし、そこに立てることは素晴らしいことだと思うので、胸を張って楽しんでもらいたいです。日本の国民の方が味方で応援してくれているので、そういうのを全て自分たちの武器にして戦ってもらえたらいいなと思います。自分にとってはW杯より五輪の方が大きな大会だと思っていましたし、サッカーだけでなく注目される大会、すごいものだと思っていました。逆に自分がこういうことを言うことは申し訳ないですけど、それをプレッシャーに感じないでほしいですし、W杯はW杯、五輪は五輪なので。その大会に対して自分たちがどこまでいけるのかを追求していってほしいですし、目指すは金メダルだと思いますので。絶対触らせてもらいます、岩渕に。

-銀メダルをとったロンドン五輪決勝に至るまでの当時の心境はどうだったのか

大野 すごかったですよ。本当にここにいていいのと思いました。ホテルの部屋にトーナメントをみんなで書いてやっていくと、そこに日本が残っているんですよ。自分たちでも驚きというか。ここまでくるといっちゃうでしょっていう感じで。そのころは超ハイテンションで、つかめないものじゃないんだなっていう感覚でいました。失うものがなかったので。でも相手の顔はおそろしかったですよ。本当に忘れないです。こんなやつらに負けるかって顔していたんですよ。でも、時間が進むにつれて、じりじりと焦り始めてたので。しめしめという感覚でした。

強い仲間意識が大会本番での力に

-大野さんがいた頃のなでしこは大会本番に強いイメージだった。その要因は

大野 仲間に対しての意識は強かったですね。この仲間だからこそとれる、とりたいというものはありました。実際、現役を引退するにあたっての大きな理由はそれでした。一緒にやりたい仲間がいなくなってしまったのが、大きなポイントだったかなと思います。仲間は本当に大事だと思いましたし、五輪、W杯と長くいればいるほど、この人たち絶対とりたいと思えたし、力が出るので。それは自分たちの時は強かったのかなと思います。

大野忍(右)と澤穂希さん(2015年撮影)
大野忍(右)と澤穂希さん(2015年撮影)

-そういったチームメートたちと3月に東京五輪の聖火ランナーを務める。もし走られた場合にどん なことをしたいか

大野 すごく名誉なことですし、うれしかったです。何よりW杯メンバーに会えるということが一番うれしかった。走る準備もそのためにしていますし、今のなでしこはこうだぞっていうアピールもしていきたいなと思っています。

-支えてくれた家族について

大野 両親には本当に感謝しかなくて。引退するというのも一番納得いってなかったのは父だったんですよ。何でお前が辞めないといけないんだって。他にチームはないのかってずっと言っていて。母は違う道で頑張っていけばいいよねって言っていて。父がそういう風に言うのは珍しかったので、申し訳なかったですけど。最後に自分で引退試合はこれと決めてなかったので、最後の姿を見せてあげられなかったのは悔いというか、申し訳なかったなと思います。両親の応援がなかったらやってこれなかったので感謝しています。

選手から慕われるような指導者に

-佐々木則夫監督との絡みも印象的だった。あらためて佐々木監督はどんな監督だったか

大野 ノリさんね、しっかり朝、電話しました。連絡がちょっと遅くなってしまったんですけど。そのノリさんから「すぐA(級コーチライセンス)をとりにいけ」って言われて。まだ新米さんなので、これからはイベントとかサッカースクールに参加してやっていきますって言って。ノリさんのサッカー教室にも出させてくださいねと言って、相思相愛で終わりました。本当にノリさんが自由にしてくれましたし、理解もしてくれたので感謝しています。やっぱりああいう指導者にも憧れる部分がありますし、選手から慕われるような指導者になっていきたいなと思います。

-大野忍とはどういうストライカーだと思うか。サッカーは自分をどう成長させてくれたか

大野 どんなストライカーかは、あんまり自信をもってこれだとは言い切れないですけど。点を取れたのは周りにいた選手がいて、自分が取れたものだと思っています。ただシュートをするだけの状況をつくってくれたチームメートに感謝していますし、ストライカーになれたのは周りの選手がつくってくれたものだと思います。サッカーは自分にとっては本当に常につきまとうものというか。常に並行しているというか。オフで今日はサッカーのこと考えないぞって思っていても、サッカーを見ちゃったり。暇さえあれば、そのへんでやっているサッカーを見ちゃったり。自分にとってサッカーがなかったら何もないんじゃないかと思いますし。丸い物見ると全部蹴りたくなっちゃうんですよ。それぐらいサッカーが本当に好きなんだなと思いますし、自分にサッカーがなかったら何が残るんだろうって逆に思ってしまうようなものです。

-現役生活を終えて寂しさを感じる瞬間はあるか

大野 ふとした時にお疲れさまと言われたり、意外と自分が我慢しているものを相手の方が出していると本当に終わっちゃったんだなと思います。引退すると決めてからすごいメールが増えたので。すごいことなんだなと思いました。もったいないねというメールがすごいたくさんきて。そういう風に思ってもらえてたんだなと思いましたし、自分自身しっかりと決めたことなので。楽しく生きていこうと思います。引退会見に涙はいらないですね。こんなに集まってもらって驚きました。でも、澤さんに昨日連絡した時に「しっかり話してきなさい」と言われたので、しっかり話させていただいています。

(2020年2月12日、ニッカンスポーツ・コム掲載)