競泳選手は大学で引退するのがほとんど

競泳選手が水に親しむ時期は早く、小学生で選手コースに入ると、15年以上毎日泳いできたことになる。しかし、大学トップ選手でも、社会人になってまで第一線で続ける選手はほとんどいない。この3人もインカレでアスリート人生を終えた。

競技人生の最後をどう締めくくるか。「それぞれの目標を達成できるように、悔いないよう終えられるように指導するのが、自分の仕事」と佐野監督は言い切る。個人競技でありながら、学生スポーツとして最大の目標は「インカレ優勝」。1人ではなし得ないゴールに突き進む選手のモチベーションの上げ方が、36歳の若手監督は抜群にうまい。

監督に就任した翌年に、86年ぶりの日本一をつかんで以来、7年間で5度の栄冠。その秘密は「選手に自信をつけさせること」だという。

優勝チームが手にできる天皇杯を掲げる佐野監督と、雄叫びを上げる選手たち
優勝チームが手にできる天皇杯を掲げる佐野監督と、雄叫びを上げる選手たち

「勝てない時も力のある選手はいたんです。でも、ただ『優勝したい』と言うだけでは優勝できない。選手はもちろん、OBだって誰1人、86年前の優勝を知らないし、勝ち方を知らなかったんですから」。

まずは、自分たちと他校を分析し、どの種目で何位(何点)になればいいのか、そのためにどんなタイムを出したら良いのかを具体的に打ち出した。その上で、毎日の練習でとにかく褒める指導を徹底した。

「やれるぞ、いいぞ、と言われ続けると、人間は不思議なことに“できるかも”と思うようになるんです」。指導モットーは「Be positive」。米国で2年間学んだ指導方法を生かし、前向き発言で選手を燃えさせ、やる気を出して伸ばした。

「褒められるとうれしくなって、また頑張ろうと思う」と中西はテレ笑い。「また何か言ってる。そんなはずないだろ」と一時期は聞く耳をもたなかった永島も、最後は心を開いたことで結果を出せた。

さらに意識させているのがコミュニケーション。明大水泳部は合宿所に住む寮生と寮外生がいて、練習もスイミングクラブで行う者もいる。バラバラになりがちなチームを一つにするため、「何でも口にして、コミュニケーションをとるよう指導している」と佐野監督。4年生は1年の時から日時を決めてキャンパスで集合し、日常から一体感を強めてきたという。

コロナ禍でも自分たちを信じ、最大限のトレーニング

「信じる力」も強かった。インカレの開催見通しが立たない時、本庄主将は「このまま試合がなくなって、いつの間にか引退していた…となったら怖い」と不安を口にしていた。実は、引退を決めたのも、4月の日本選手権中止が要因だったからだ。

それでも佐野監督は「インカレは絶対ある。信じろ」と言い続けた。それを受けて、選手たちも気持ちを切らさず、今できることをやり続けた。コロナ禍で限られた環境の中でも最大限の練習ができたこと、その練習ができる体を作り、大会まで健康な体を保てたのは、食事を含めた日頃の生活が整っていたからにほかならない。

すでに新チームは始動し、新たな強化選手も選出され、個人サポートも始まっている。インカレ連覇に向けて、次の世代も動き出した。奪還のカギとなったアスリートとしての食事は、明大水泳部の伝統として受け継がれるだろう。「ここで学んだ食事は一生のもの。これからの人生にも役立つ」と日本一になった4年生は、そろって胸を張った。

【アスレシピ編集部・飯田みさ代】

明治大学水泳部(競泳部門男子) 1919年(大8)創部。21年の第1回全国専門学校水上競技大会(インカレ)で初優勝。28年アムステルダム五輪で鶴田義行が200m平泳ぎで優勝して日本水泳界初の金メダリストになり、29年に2度目のインカレVを手にするなど一時代を築く。長らく低迷していたが、2015年に86年ぶりにチームとして大学日本一となり、今年で7度目の頂点に立った。佐野秀匡監督は個人メドレーでインカレ、日本選手権、アジア大会などで優勝、世界選手権にも出場している。部員は男子が29人。女子7人、マネジャー9人も在籍。合宿所は川崎市多摩区生田。

一般社団法人日本アフリートフード協会 2018年9月設立、福井栄治理事長。アスリートのパフォーマンスを最大化するために、年齢別、種目別、時期別に最適な食プログラムを提供する人材を育成し、アスリートフードマイスターの民間資格(1級~3級)の認定を行っている。累計受講生数は1万9928人(2020年10月現在)。