国立競技場で行われた全国大学ラグビー選手権決勝、帝京大との激闘に敗れた明大の副将、NO.8大石康太(4年)はグラウンドを下りると、顔をくしゃくしゃにして涙をあふれさせた。4季ぶりの優勝で雄叫びを上げる帝京フィフティーンを横目に、それまで押し殺していた感情を、もう抑えることができなかった。

大学選手権決勝でプレーする明大NO.8大石(右)
大学選手権決勝でプレーする明大NO.8大石(右)

あれから3週間ほどたった1月末になっても、大石の心は空しさが漂っていた。14-27で完敗した悔しさだけではない。「虚無感で、まだ何もする気がおきないんです」。退寮して旅行したり、ラグビー以外のことに触れる仲間も多い中、都内の実家のリビングでラグビーの映像を見つめる毎日。「ラグビーが日常で、触れていないと落ち着かない」。それほど大学時代、ラグビーに全身全霊を捧げ、濃密で充実した日々を過ごしていたのだ。

フィジカル面の課題、どう差をつめるか

大学ラグビーの強豪・明大は約100人の部員が全員、同じ寮で生活する。毎年、高校日本代表をはじめ、各地区の代表、花園の優秀選手ら将来を嘱望された選手、恵まれた体格、生まれ持った身体能力、突出した素質を持つ選手がこぞって入部し、レギュラー争いは熾烈だ。

国学院久我山の主将として花園で8強入りし、東京都選抜メンバーでもあった大石も「1年の時はついていくのに精一杯。これから4年間、どうなっていくのか不安だった」と当時の心情を吐露する。運動量が豊富で器用な一面もあったが、とりわけ筋力不足、フィジカル面で大きな課題があった。

179センチとそれほど大きくなかったこともあり、一度はスクラム最前列のHO(フッカー)にポジション転向。しかし、持ち味のフィールドプレーを生かせないとして2年の夏にバックロー(FL=フランカー、NO.8)に復帰した。回り道をしたこともあり、2年までは3、4軍にあたるCチーム以下の「ルビコン」でプレー。3年になってから主力のA、Bチーム「ペガサス」で練習できる日も増えてきたが、レギュラーだけがまとえる「紫紺」のジャージーは3年間、一度も袖を通していなかった。

4年目でレギュラーの座をつかみ、チームをけん引した大石は、オフの月曜日は3食自炊でコンディションを整えた
4年目でレギュラーの座をつかみ、チームをけん引した大石は、オフの月曜日は3食自炊でコンディションを整えた

下級生の頃から学年リーダーを務め、何事にも真摯に取り組み、仲間からの信頼も厚い。「ラグビーが好きで、もっと知りたいし、上手になりたい」と練習にも意欲的に臨んでいた。だが、必死に練習を続けたとしても「紫紺」に届く保証はない。先輩が卒業しても優秀な後輩が入ってくる。「小さくても前に出られる体を作るには、どうしたらいいのか」。考えて導き出したのが、「オフの月曜日を無駄にしない」ことだった。

年間49日、計147食で何を食べるのか

明大では新チームが始まる時に、年間スケジュールが提示されるという。「1月の大学選手権決勝までいくとして年間50週。週1日休みがあるとして49日。1日3食で計147食。この食事をどうするかで体が変わる、と考えたんです」。

寮では1日3食、管理栄養士が栄養価計算したメニューが提供されるが、オフの日の食事は選手個人に委ねられており、外食する選手がほとんどだ。ここで食べる量が減ったり、脂ものが多かったり、バランスが偏ったりすることで、体重の増減やコンディション調整に影響が出ることがある。

高校時代までに「食事の基本」をマスター

高校時代まで、母則子さんによるバランスの整った食事をとり、管理栄養士・石村智子さんの栄養サポートを受けていた大石は「食事を整えることで体が変わる」ことを体験していた(※関連記事)。アスリートの食事はどういったものなのか、何を食べるといいのかを理解していたので、オフの日の食事も自分で整えることができた。

大石と母則子さん
大石と母則子さん

「親や、(石村)智子さんのおかげです」。外食の際も定食スタイルでバランスを整え、タンパク質源をしっかり摂り、脂ものは極力控えた。多くの選手が大好物のラーメンも「高校時代は食べていましたけど、もう食べられませんね」。夜食のプロテインもサボらず摂取した。

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