コロナ禍で仲間と「自炊」スタート

3年時は新型コロナ対策の緊急事態宣言が出され、一度チームは解散。寮に残った選手の行動範囲は、寮のある八幡山周辺に限られ、外食も禁止された。そんな環境下で仕方なく始めた週1日の「3食自炊」。だが、この高タンパク質低脂質のメニューがその後の大石の体作りや自己管理に役立ち、レギュラー獲得に大きく貢献することになる。

自炊を始めた頃、何を購入していいのか分からない大石は、スーパーの精肉売り場から則子さんに電話をかけていた。「あのメニューを作るには、どの肉を買えばいいのかって(笑)。肉の部位も分からなかったんですよ。自分で調理するようになって、作るってことがどんなことか、分かったんじゃないでしょうか」(則子さん)。

大石たちが作ったある日の夕食おかず。ひき肉は牛豚鶏のミックスだ(本人提供)
大石たちが作ったある日の夕食おかず。ひき肉は牛豚鶏のミックスだ(本人提供)

最初は食材購入もおぼつかなかったが、探究心旺盛だから、やれば面白くなる。肉じゃが、野菜たっぷり肉炒め、ローストビーフ…レシピサイトなどを見てレパートリーをどんどん増やしていった。“週1自炊”は宣言明けも続き、2年目に突入。4年時に一緒に作っていたメンバーは、2年生のPR古田空、SO伊藤耕太郎、HO松下潤一郎で、“調理長”は古田だ。

大石たちが作ったある日の夕食。タンパク源だけでなく野菜も意識して摂っている(本人提供)
大石たちが作ったある日の夕食。タンパク源だけでなく野菜も意識して摂っている(本人提供)

日曜夜に買い出し、1日食費800円

日曜日にメニューを決めて、夜に近くのスーパーに買い出しに行く。主食は朝はパン、昼はパスタ、夜はご飯が定番で、1日の食費は約800円。価格、品質、品揃えを見て「冷凍食材はここ、生鮮食品はここと購入先も分けるようになった」。主婦顔負けの情報力も取得し、IHコンロ、炊飯器、包丁やまな板などの調理器具も手に入れた。

“調理長”の古田を中心に、ローストビーフも上手に作る(本人提供)
“調理長”の古田を中心に、ローストビーフも上手に作る(本人提供)

ただ、一緒に作るメンバーが全員、大石のように「脂質オフ」のメニューを好むわけではなく、味や腹持ち重視の者もいる。そんな選手同士のやりとりが面白い。

例えばハンバーグ。「みんな牛ひき肉や合い挽き肉を好むんです。僕は脂質を減らしたいから鶏(むね)肉がいいので、牛、豚、鶏(のひき肉)を全部混ぜて作った時もありました(笑)。意外とおいしくできたし、味はソースでもごまかせるので、次からなんとなく鶏の割合を増やしていきました」と大石は和やかに、こだわりを貫いた様子を明かした。

昼はパスタが中心。トッピングのベーコンは大石は少なめ(この写真は他のメンバー用、本人提供)
昼はパスタが中心。トッピングのベーコンは大石は少なめ(この写真は他のメンバー用、本人提供)

リカバリーの日であり準備の日

大石にとって、月曜日はオフではない。「前週のリカバリーの日であり、次の週のための良い準備をする日」と位置付けた。食事の量と質を崩さず、自主的にウエイトトレーニングを行い、バイクをこいだ。ラグビーに触れていることが気分転換であり、息抜きで「遊びに行きたい欲もなくなった」。いわゆる「お菓子」を食べるとしても、日曜日の練習後に少しだけ。コンビニで購入する甘味はどら焼きなどの和菓子のみと「自分の体に入れるものだから、こだわった」と徹底した。

餃子も上手に作る(本人提供)
餃子も上手に作る(本人提供)

好きなだけ、好きなものを食べていても強靱な肉体を維持し、下級生時代から試合出場する選手もいる。「実際、それでも体が大きくなる素質を持った選手もいるんだなぁと思いましたが、自分はそうではないので。それぞれの体があるから、自分のやり方が正しいとは思わないけど、同じことをしていたら差を縮められない。流されないことが大切だった」。

筋肉がつきづらく、体が大きくなりにくい大石は私生活から律した。コーチ陣や管理栄養士に自主的に助言を求め、自分に合う情報やスタイルを模索し、選択した。自分を高める方法を見つけ、確立していった。

4年春で初の公式戦、レギュラー獲得

そんな真っ直ぐな姿勢は周囲に刺激を与えていた。最上級生となり、大石は副将に選ばれた。3年間、公式戦出場のない選手がリーダー的ポジションに就くのは、スター軍団・明大において異例のことだ。「結果として今年、紫紺を着られなくても、やってきたことの自信はある。チームへの貢献はできる」と覚悟を決めて引き受けたものの、レギュラー獲得への思いは一層、強くなっていった。

関東大学ラグビー対抗戦、慶大戦で力強い突進を見せる大石
関東大学ラグビー対抗戦、慶大戦で力強い突進を見せる大石

5月に行われた関東大学ラグビー春季大会の初戦、日大戦で大石はリザーブメンバーに選ばれ、初めて「紫紺」を着た。後半34分から出場し、持ち味のボールキャリーや体を張ったプレーでチームに勢いをもたらし、24-19の勝利に貢献した。

そこから公式戦での経験を積み、1試合ごとに安定感も増していった。秋の対抗戦でも明治のNO.8の座を不動のものにし、FWの要としてチームをまとめ、大学選手権決勝まで突き進んだ。

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