演技と結果で覆した観念
10年2月18日、バンクーバー五輪男子フリー。客席に揺れる日の丸が、涙でにじんでいた。男子シングルではアジアで初めての銅メダルを首にかけ、高橋は表彰台に立った。10年半の歩みを思い返した長光の耳元で、68歳の佐藤信夫がささやいた。
「『女子はそのうち世界で表彰台に乗れる。でも、男子は無理でしょうね』。歌ちゃん、稲田先生はそうおっしゃっていたんだよ」 56年度から全日本選手権を10連覇した佐藤でさえも、世界の壁に屈してきた。胸に刻んでいたのは、戦前に、あのヒトラーから握手を求められた名選手、稲田悦子から聞いた言葉だった。その言葉こそが、長年の男子の立ち位置を示していた。
長光にも苦い思い出があった。72年の札幌五輪翌年から歩んだ指導者の道。男子選手のプログラムを振り付け、送り出した大会で年配のジャッジに指摘された。「男にチャラチャラ踊らせて、どうするんや!」
地元倉敷の理容店で鏡を相手に踊った高橋は、演技と結果で日本男子の観念を覆した。
多くの選手に憧れられる存在
14年ソチ五輪後に1度は引退。解説者として後輩の演技を外から見守り、プロスケーターとしては歌舞伎と融合したアイスショーなどに取り組んだ。18年7月1日、4年ぶりの現役復帰を表明した記者会見で、素直な思いを伝えた。
「30歳を超えても『これだけ成長できる』というのを見せたい。表現は成長できる部分。好みは人それぞれで『昔の方が好き』という人がいれば仕方がない。『今の方がすてき』という方もいるかもしれない。『高橋大輔の表現が好きだな』と思ってもらえる人を、1人でも増やしたいです」
周りの選手は全員が年下になった。長光から指導を受ける15歳の岩野桃亜(もあ)は、スケーティングの大切さを肌で感じ始めた。
「毎日アイスショーを見ているようです。リンクに1歩入った瞬間、大輔さんの空気に変わるんです」
18年平昌五輪銀メダリスト、22歳の宇野昌磨も高橋が憧れだった。国際大会で戦う21歳の友野一希、20歳の山本草太、18歳の須本光希も、12年前に高橋が滑ったヒップホップ調「白鳥の湖」を見て育った。友野は当時を思い返して言った。
「高橋選手の表現は、衝撃的でした。小学生の時にみんなで演技を見て、まねをしました。特に『踊る』ということに憧れました」
長光は世界の舞台に立つ高橋へ、常に伝えてきた。
「成績は自分だけのものじゃないんだよ。ジャージーに『JAPAN』って書いてあるだけで、一目置いてもらえるでしょう。日本の先輩たちが作り上げてきた信用の中に、あなたがいるんだよ」
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