サッカー日本代表森保一監督(51)
今でもはっきりと覚えている、母さんの“感覚”がある。小さい頃、家を出る前に着替えを手伝ってくれたり、顔にニベアを塗ってくれたりした、その時のぬくもり。肌と肌が接している感覚は、すぐに思い出せる。父さんもそうだけど、無償の愛をずっと注いでくれる。いつも自分を信じて、どんな時も最大限のサポートをしてもらえたなと感じている。いつも愛情を注いでくれて、気に掛けてくれて、ありがとう。
いつも家族のために、休む間もなく一生懸命頑張ってくれていた姿を思い出す。今の実家に引っ越す前、2部屋の長屋のような家に住んでいた頃、夜中にいつも洗濯を干したり、片付けしたり、あっちこっちに動いていた。昼間は仕事。帰ってきて家事をし、寝るのは2~3時間。朝起きた時には、朝ご飯のいいにおいが部屋に広がっていた。どんなに忙しくても、お弁当は必ず手づくり。甘い卵焼き、好きだったな。運動会の前には、走る練習も一緒にしてくれた。家の前の坂道を並んで走ってくれた情景は今でも覚えている。
サッカーの試合も、ほぼ毎試合見に来てくれた。小、中、高では他の親もスタンドから大声を出していたから気にならなかったけど、プロになって「お前のかあちゃん、応援すごかったらしいぞ」って言われたことがあった。「そんな大声出さないで静かに応援してよ」って言うと「自然に出るからしゃーない」って。そんなけんかも、懐かしい。
厳しさも教えてもらった。妹と弟とけんかした時は「両成敗」と、みんな一緒に叱ってくれた。もも裏とか、時には、みみず腫れするぐらいに布団たたきでたたかれて叱られたのも、笑えるいい思い出。朝が弱く、準備がいつもルーズだったり遅かったので学校に行く前にドタバタしていたのも、すごくせかされ、送り出してもらった。
思い出はいろいろあるけど、年を取り、子どもは何歳になっても子どもなんだなって思いを、僕自身が受け入れられるようになった。当時は全部当たり前のように思っていたけど、すごく大変なことをしてもらっていたなという思いが今はある。本当に感謝しかない。
最近、母さんに似ていると言われることが増えた。父さんもだけど、2人は「人のために何かしてあげたい」という思いやりの気持ちをすごく持っている。自分もそういう人間になりたいと思っている。新型コロナウイルスの感染拡大が心配でこの前電話したけど、少しでも多くの試合を見に来てもらえるように元気でいてほしい。いままでずっと、家族のために身を粉にしてくれていたので、少しゆっくりしながら人生を楽しんでほしい。
たくさんの愛情を注いでもらった。「頑張って」とは、あまり言われたことはなかった。何をやっていても「できるよ」って後押ししてくれていた。でも、母さんを悲しませたくないから、少しでも笑顔になって、喜んでもらいたいと思っているから。
頑張ります。
いつもありがとう。
(2020年5月10日、ニッカンスポーツ・コム掲載)