<イチロー氏一問一答(下)>
マリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏(47)が26日、神戸市内で、日本新聞協会主催の第73回新聞大会で講演した。同協会に加盟する社のメディア関係者向けのもの。味わい深い、久しぶりの「イチロー節」は以下の通り。
イチロー氏 仕事に行くときって、緊張しないですか? そもそも。緊張した方が絶対にいい仕事をできるんです。僕はいろんな人を見てきて、そう思います。意外と緊張しませんでした、平常心で臨めました、あり得ないでしょう。自信満々でリラックスしている状態、一番、危険だと思います。始まる前、緊張感に包まれて怖いという、それってそれなりに自分が積み重ねてきた証でもあり、自信があるだろうし、でも、結果を出さなきゃいけない。簡単ではないことも分かっている。そうすると緊張するんですよ、当然。それをどうやって乗り越えるかですから。
僕らでも、大事な場面で打席が回ってくる。緊張します。でも、それで、その緊張感から解放するすべを持とうとする人は、いっぱいいますよね、結果を出すために。それでは永遠にその状態から抜けられないです。その緊張感を抱えたまま、結果を出すしかないです。もちろん、深呼吸したりね。そのために、いま、みんなが使うルーティンというものがあったりする。
仮にそれから解放されるテクニックですよね。結果を出すためだけのテクニックを身につけたとしても、面白くないでしょう。リラックスした状態で結果が出る、そこを目指している人は、人よりは抜きんでられないでしょうねえ、と僕は思います。緊張するのが恥ずかしいとか、そんな感じ、ないですか、いま。恥ずかしいとか、楽しんでやるとか。僕はそういう緊張感を克服して、緊張状態で結果を出し続けた先に、それがあると思うんですよね。その怖さを知らずに自分のことだけちゃんとやって、楽しんでできたらいいですでは、まあ無理でしょうね。少なくとも世界では戦えないように見えますよね。
-阪神・淡路大震災から四半世紀の節目。当時はオリックスで4年目だった
イチロー氏 僕はオリックスの寮にいたんですね。(神戸市)西区にあった。球場の近くです。比較的、被害は少ないエリアでしたが、それでもまずドカーンといったんです。早朝ですから、訳が分からなくて何かが寮に突っ込んだと思ったんですね。間もなく揺れ出した、部屋が。地震だって。跳び起きたんですけど、立っていられない。僕、アスリートなんで、バランス感覚とかいい方なんですけど、とても立っていられない。布団かぶって丸まっているしかない状態ですね。4階でしたが、床が抜けるか、天井が落ちてくるかは覚悟しました。だから初めて、死ぬかもなと思った瞬間でした。その後、テレビで阪神高速の橋桁がへし折られて、衝撃的な映像が出てきたんですけど。ビルが倒れたり。
-野球できる状況ではなかった
イチロー氏 その年にリーグ優勝。そもそも、キャンプが2週間後。集まれるのか、宮古島に。無理だろうなと思ったんですよね。みんな、集まったんです。バラバラに来た人もいます。でも、みんな集まった。自分たちはそこに集まる。キャンプを普通に始めるのがベストなんだろうなと、みんな思ったんでしょうね。別に来なくても良かったんですよ。来られない人は無理をしないでというスタンスだった。みんな集まりましたね。
その年、リーグ優勝するんですけど、できすぎじゃないですか。震災がありました。オリックス、優勝したことがない。この状況で優勝したらいいけど、なかなか、優勝したことないチームが、今年は優勝ですと僕は言っちゃいけないと思うんです。優勝したいですよ。だけど、あの年、中盤から盛り上がったんです。いきなり優勝を目指すチームは数えるほどです。優勝と目標を口にしていいチームは数えるほどしかない。みんな言うじゃないですか、僕はあんまり好きじゃないです。途中から、これ行けるかなと。グッと気合が上がった時期があったんですけど、そこからはやっぱり神戸に対する思いは、みんな強かったです。それを常に抱きながらプレーしていました。
途中からですね。前半戦はとても、イメージができないですから、経験がないので。僕は個人的にも1年やって、レギュラーの2年目の大事な年だった。チームのためにやらなきゃいけないけど、2年目の大事な年だしな、個人としてやらなきゃいけないことあるんだよなと思っているんですよ。全体を見られるようになるのは、最低3年、レギュラーをやってからじゃないと、そんな余裕は生まれないですよね。だって、自分ができなかったら終わってしまうもん。そういう世界ですから。だからまず自分の結果を残すためにやっていました。結果としてリーグチャンピオンになって、MVPももらっちゃったりして。最後は神戸で決められなかった。地元で決められる試合が3試合、3連敗したのかな。西武球場に行って決めたんですけど。その頃はもちろん優勝は見えていた。基本的には自分のためにやっていました。終わってみるとそうやって評価されますね。