-「野球の研究者になりたい」と話していた

イチロー氏 研究というと少し大げさですけど、自分の体を使って実験している状態ではありますね。先に何か仮説として踏まえているわけではないので、研究とまではいかないですけど、そうやって自分の体を使って、何かを導けたらなと思います。

第73回新聞大会で講演するイチロー氏。右は三田フジテレビアナウンサー(撮影・前田充)
第73回新聞大会で講演するイチロー氏。右は三田フジテレビアナウンサー(撮影・前田充)

-ケガのリスクは

イチロー氏 ケガのリスクは常にあります。それも、現役ではできなかったことじゃないですか。ケガしたら出られないですから。日本の夏。春からいましたから。春夏秋…。いま冬に差し掛かろうとしていますけど、まさかここまで日本に滞在すると思っていなかった。日本の夏がやたら暑いと、ずっと聞いていた。それを19年、僕は経験していなかった。そんなに暑いのかなあって熱中症、熱中症…。気をつけてくださいって。僕もないし、僕の周りにも熱中症になった人がいない。聞けないんですよ、話を。熱中症ってどんな感じなのか。どうやったら熱中症になるのかなと。結構、むちゃして、炎天下で走り回ったりしたんです。でも、ならないんですよ。ある日、8月半ばすぎくらいですかね。1日、何もしない日があって、夕食を食べて飲んで酔っぱらっている状態です。酩酊(めいてい)してないですよ(笑い)。いい気分です。1日、何もしないのも気持ち悪いなって。その状態で皇居に走りに行ったんです。夜中の11時半なのでほとんどいない。たとえお昼に走っても、走る人、方向、同じなので。全然、大丈夫です。そしたら、しばらくして、ものすごい量の汗が出てきて。太ももの表がものすごく緊張してきて。これってよくないサインなんです。そうこうしているうちに腰に来て背中に来て、肩が上がりだして、コレ、完全にダメな状態なんです。それでも続けてきたら、今度は指が固まりだしたんです。つまり、脱水症状なんですよ。それで続けて、結局、完走はできなかった。何とか、たどり着いて。疲れたと。翌日、野球の練習を軽めに始めたんですけど、ジョギングして、軽く打って、キャッチボールしたときに動かなくなってしまったんです。背中から腰にかけて、ぎっくり腰の症状に近いです。ぎっくり腰したことないですけど話を聞くと、ぎっくり腰の症状です。ハンドソープを1プッシュもできない。何かに支えられていないと…。どうしようもない状態で。動けるまでに10日弱だったんですけど、いろいろやりました。14年に痛めた体験があったから、マッサージもしてもらったり、どこに刺激を入れるとこれが間然するのか、経験からよく分かっていたので、あるときから劇的に変わるんです。それは情報だけ知っているのと、自ら体験して初めて分かることって、たくさんあるんですよねえ。そのことを痛感しました。経験したことを伝えたとしてもその人にとっては伝え聞いた話なので難しいところなんですよね。

-引退会見で「おそらくトレーニングしている」と話していた。3月21日の試合、セレモニーをいま、どう受け止めているのか

イチロー氏 いやあ、よく思い出すんですよ、あの瞬間。特にいま、こういう状態で、あれがもし、2020年だったらどうだったんだろうなとよく考えるんですよね。だって東京で試合ができないし、最後の瞬間もないし、引退の会見もできなかったし、あれが今年だったらリモートで『辞めます』と言わなきゃしょうがないですから。どうやって、こういう運命って決まってるんだろうかと。あの瞬間があったのとなかったのとでは、僕のいまとその後の気持ちがまったく違うものになるんですよねと思うんです。あの瞬間があったから、すぐ試合を見られたし、客観的に試合を見られた。もちろん、見ていて、俺ならこうしているのになっていうのはありますよ。未練はまったくないんですよね。そういう意味で、後悔の仕方が分からないくらい、そんなものがないと思わせてくれる瞬間でした。恐ろしいです、そのことを考えたら。

-どんなときにあの光景を

イチロー氏 特別な瞬間じゃないんですよ。いまこうやって僕は気持ちよく体を動かせている。そういうときに、つまり、それは、あの瞬間があったからだと思ったり。あらゆるときに思い出しますよ。こうやって皆さんの前で話をしてますけど、これだってそうだと思うんですよ。あの瞬間に支えられています。だから、どうやって辞めるのかというのは、どういう選手であるか以上に大切なんだろうなと僕は思いました。

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