しっかり手入れをすれば思い出も革もよみがえる

中学入学時に購入したスラッガーの硬式用オールラウンドグラブを、久しぶりに押し入れから掘り起こした。

小学生の頃、福岡・宗像市の学童少年野球チーム、河東西(かとうにし)オリオンズに在籍していた。当時の大島康朋コーチから卒団記念のお祝い金をいただき、購入した。同コーチは、箕島高で吉井理人(現ロッテ投手コーチ)や山下徳人(現ロッテ編成)らと甲子園に出場した。

二塁手だった。甲子園でダイビングキャッチする写真を見せてもらったことがある。高校時代にスラッガーを愛用していたことから勧めてくれた。「そんな人が言うなら間違いない」。久保田運動具店の福岡支店に走ったことを思い出した。干支(えと)が一回りして、取材のため東京・渋谷の久保田運動具店にグラブを持参した。

松山英則さん(左)の手本真剣に見る久永記者
松山英則さん(左)の手本真剣に見る久永記者

見渡す限り、グラブ、グラブ、グラブ。新品の革のにおいが漂い、あの時と同じように光って見えた。スラッガーの職員は、入社時に湯もみ型付けの考案者である江頭重利さん(87)のいる福岡支店で、1カ月の研修を受けるという。その福岡支店で購入したグラブ。大学入学を機に上京する時「いつか野球をすることがあるだろう」と、何となく持ってきていた。東京で、仕事として磨くことになるとは…不思議な縁を感じた。

手入れに関しては10年以上やっていなかった。高校ではラグビー部に所属したため、ソフトボールを挟んで放置していた。「ソフトボールを挟めば形崩れしない」と思いやっていたつもりが、逆に形崩れにつながるとは。全体的に日焼けし、乾ききっていたグラブだったが、手入れを終えると息を吹き返した。

お手入れを始める前の久永記者のグラブ
お手入れを始める前の久永記者のグラブ

グラブの寿命は、使い方やメンテナンス次第で伸びると教わった。現役時代の片岡治大(現巨人2軍内野守備走塁コーチ)は、試合用として使ったのはプロ12年間でわずか3つ。山田さんによると、プロ野球選手は「1個のものに対しての思いが強い選手が多い」という。スラッガー社はプロ選手の担当者が実際に店舗に立つため、憧れの存在の担当者に相談をしながら自分だけのグラブを作っていける。

小学生の頃は、主に一塁手と投手。中学入学時にオールラウンド用と思って買ったグラブは「L7」という製品番号で、松井稼頭央(現西武2軍監督)モデルだと初めて知った。

お手入れを終えた久永記者のグラブ
お手入れを終えた久永記者のグラブ

よみがえったグラブを見ていると、野球をやめる際に、大島コーチに泣きながら電話で報告したのを思い出した。当時のことを確認するため、父親に電話をかけると「(コーチから)湯もみ型付けの考案者、江頭さんがいるから」と勧められ、近所の代理店ではなく、車で1時間ほどかかる久保田運動具店の福岡支店まで行ったことが判明した。全く覚えていなかった。

昨年、入社後初めて担当した球団は、吉井投手コーチと山下編成調査担当の在籍するロッテだった。ロッテはかつてオリオンズを名乗った。自分が野球と出合ったのもオリオンズ。中学までしか野球をしていない記者でも、まだまだ書ききれないほどの思い出や縁がある。プロ野球選手の思い入れはいかほどか。また取材ができるようになれば…相棒にも着目して物語を聞いてみたい。【久永壮真】

(2020年5月4日、ニッカンスポーツ・コム掲載)